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反日教育が逆効果となる転換点

 前の記事を書いていて頭に浮かんできたのが,

 中国の人々の内面の変化である。

 中国国内では,「日本は嫌い」というのが「政治的に正しい答え」なのだろう。

 その正しい答を導くために中国人が受けているのが,日本で「反日教育」と呼ばれているものである,と言われている。

 私は「反日教育」を受けたことがないので,日本で活字になっているものから想像して書いている。

 私自身は,日本で出会う中国人から,「日本は嫌い」「日本人は嫌い」という感情を出されたことは一度もない。

 全く逆の経験はたくさんある。

 だから「中国人は本当に日本のことが嫌いなのだろうか」と疑問に思う。

 韓国についても同様であるが,韓国と日中の間については,日中間とは異なる歴史的経緯があるので,ここでは中国の「反日教育」だけを焦点にあてて書いている。

 中国では,国内で問題が起きると,国民の不満をそらすために,反日ネタが使われるようになる,というのは,歴史上,中国以外の国でも行う場合がある,中学生でも知っている「歴史的な法則」というか「経験則」であり,いわゆる「反日教育」の始まりは,それを長期的かつ持続的に行う国家戦略であると解釈されている。

 ところが,共産党が示す教育内容,内容に込められた意図が,グローバル化の進展によって,十分に機能しにくくなってくる・・・・あるいは,逆効果になってしまう,という懸念を政府自体も抱いているのではないだろうか。

 歴史的経緯とは別に,

 「日本は,本当に嫌うべき国だろうか」

 「嫌いな国に,観光や買い物に行くべきだろうか」

 という問いを無意識のうちに中国の人々がするようになってくると,

 日本に向けていた(向けさせられていた)目が,中国政府自体に向くようになっていく。

 経済格差が拡大し,収入の格差が大きい中国だが,相続税が存在しない。

 累進課税のような仕組みもない。

 高齢化に向けて,当然,政府がとる政策は富裕層への課税の強化であろうと想像する。

 来日して買い物をしてくれている中国人の多くは,富裕層なのかもしれないが,

 もし「中国ではなく,日本に住みたい」と願う富裕層が増えたらどうなるのだろうか。

 日本の土地も「爆買い」されているところがあると聞く。

 中国政府と中国人富裕層の戦いは,必ず始まるだろう。

 それがあることが,10億という規模の「一般市民」と中国政府が対立しないですむ方法だからである。

 富裕層と一般市民との対立を,政府がコントロールできないようになるのもまずい。

 つくづく,13~14億の人口を支える中国政府は,すごい組織だと思う。

 「強力な指導力」なくして,まとまる規模ではない。

 日本国内の政治に対する声の中には,「日本は本当の意味での民主主義国ではない」というものがある。

 そういう意図で安倍政権を批判する人もいる。

 何十年後かに,「民主主義」が本当の意味で「危機」を迎え,実は生き残っているのは「民主主義国」ではないのかもしれない・・・と思ってしまったりもする。

 国民一人一人に自分の国をどうしようか,どう支えようか,自分と他人の権利をどう守ろうか,という強い自覚がない国は,真の民主主義国ではないということは,日本国憲法を読んでもわかることである。

 最後はようやく日本人自身のあり方に目を向けることができた。

 前回の話とつなげて,公民的分野の50分の授業の展開がつくれそうだ。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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