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止まった時計を前に進ませるためには

 同じ学校に何年も居続けたり,学校外の仕事を全くしない生活が続いた教師の話を聞くと,

 20年前のことを「新しい取り組み」などと勘違いしている場面に出会うことがある。

 子どもと同じで孤立傾向にある教師の場合は,研究会への誘いもかからず,

 校内で研究授業を任されることもなく,教育実習生の指導の立場になることもなく,

 ただただ時間だけが過ぎていく。

 私は,こういう「新しいモノ」に関心がない教師は,決して嫌いではない。

 実直に昔のスタンスを崩さず,余計な仕事を増やすでもなく,

 成功とは言えないが失敗にも見えないような実践をひたすら繰り返す人は,

 どちらかというと子供も親も管理職も歓迎する傾向があるように思う。

 人事では,「大きなキズがない」ことが重要な財産になるというレベルの問題がある。

 しかし,こういう教師が通用しなくなる時期が訪れようとしている。

 とにかく「動きの迅速さ」に最大の価値をおく人間たちが増殖することで,

 過去の遺物のような教師の居場所は次第になくなっていくだろう。

 止まった時計を前に進ませるために,今後,

 ダムの放水のような,ほとんど洪水と似たような流れが生じる可能性がある。

 教育の世界を,工場の品質管理と同じ感性でコントロールしていく発想は,

 当然のことながら「教育者」のそれではない。

 「事務方」に対する「教育者」の立場を維持・・・あるいは向上させていくために求められるものは何か。

 それは,絶えざる自己変革に自ら進んで向かう姿勢である。

 勘違いしてはならないのは,「自己変革」は単純なスキルアップで達成できるものではない。

 「変革」などそう簡単にできるものではない。

 しかしだからと言って,すぐにあきらめてしまうような人には教師はつとまらない。

 自分の時計のねじは自分で巻く。

 小さな努力の積み重ねが大事だという,子供でも知っている価値観を,教師自身が強く自覚するべきである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より