ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 子どもたちの「価値」の重みを実感できるのはいつからか | トップページ | 「外部機関」という呼び方のよそよそしさ »

子どもを「モノ」にたとえられる教育現場

 私の気のせいであってほしいことが一つある。

 ある校種の先生と話をしていると,ときどき違和感に襲われることがあったのだが,その理由がはっきりとわかった。

 それは,子どもたちを「モノ」にたとえた表現が会話の中でときどき登場するからだった。

 どうやら,その校種では子どもは「モノ」と同じように「扱う」習慣がついているらしい。

 中学校になると,生徒はそう簡単に「扱う」ことはできない。

 と言うよりむしろ,人間を「取り扱う」という発想が中学校にはない。

 人の「取扱説明書」などは,存在してはいけないと思われる。

 しかし,出版物をながめてみれば,ある校種では次から次へと「取扱説明書」が見つかる。

 こういう本の影響なのか,それとも,もともとそういう「取り扱い」をしたい人たちだけがその現場に集まっていく仕組みになっているのか。

 もしかすると,「モノ」として扱われる方が,よほど「人間的」と言える現場なのかもしれない。

 「モノ」ではなく,「記号」として扱われている現場もあるのではないか。

 思い過ごしであることを祈っているが,念のため,一度,自問自答してみていただきたい。

 また,教育実習や研究授業で現場を訪れる方々には,教師の話し方に注意しておいていただきたい。


 私たち教師の仕事は,「モノ」を「コト」に変えることである。

 「コド・モノ・コト」という団体があることを偶然知ることができた。

 私たち教師は,「コド・モノ・コト」に,全力を尽くすことを使命として生きている。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 子どもたちの「価値」の重みを実感できるのはいつからか | トップページ | 「外部機関」という呼び方のよそよそしさ »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 子どもを「モノ」にたとえられる教育現場:

« 子どもたちの「価値」の重みを実感できるのはいつからか | トップページ | 「外部機関」という呼び方のよそよそしさ »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より