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心そのものを否定する人間に教育を語る資格はない

 アドラー心理学の講義を受けるまでもなく,発言や行動ではなく心そのものを否定する人間に教育を語る資格はない。

 「こんな人間にはなりたくない」という人間不信の発想では,相手からの不信感を招くだけである。

 「この人には,こんな行動をとってもらいたい(こういう行動はとってほしくない)」というメッセージを送るような姿勢が,教育者には求められている。
 
 協調性に欠ける子供がいたとき,『学び合い』が大切なのだから・・・相手が教えようとしてくれているのだから,その行為に報いるような行動をとらなければだめだ・・・協力しろ・・・という「強制」をさせるようなところでは,子供は成長しない。
 
 子供が協力できない原因は,協力を拒む心の結果ではなく,協力しようとする心がくじけてしまっていることにある。

 子供が問題行動を起こす原因は,「注目」を受けることで集団に所属していることの価値を見出したいと願っている・・・と考えることで,子供が求めていることが何かを考えようとする「教育者」としての姿勢が生まれる。

 どのような経緯で協力しようとする心がくじけてしまっているのか,所属意識を渇望しているのかを考えることなく,

 「もともと協力しようとする心をもっていないのだ」「悪い環境で育ったせいだ」と結論づけてしまうような人間には,子供たちの指導はつとまらない。

 自分自身の経験から学ぶことができない「大人」がいるのは残念なことである。

 自分自身が「救われている」経験がありながら,そのことを自覚した「教育者」としての行動をとることは難しい。

 だからこそ,大学の教職課程で,教育心理学の専門的知識が習得されるべきだったのだ。

 大人社会も変わりはない。

 相手の心を否定するような人間には,対人関係を好転させる能力はない。

 相手の言動ではなく,心を否定するタイプの人間は,自分自身が適切な言動をしているつもりなのに,それが認められない不満から,相手の人格を貶めることで自尊心や自分自身の優越感を守ろうとしているだけである。

 『学び合い』を批判する相手の自滅を望む人間も同じである。

 自己軽蔑によって防衛線を張る教師も問題である。

 責任から逃れるための・・・・手段としての自己軽蔑を「教え子」に伝える人間も「教育者」とは呼べない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より