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子どもたちの「価値」の重みを実感できるのはいつからか

 教師になって,「子どもを大切にする」ことなど,いつでもだれでもできているはずだと思っていたことが,決してそうではないことを知って愕然としたのはいつだっただろう。

 親として,「子どもを大切にする」ことができない人間がいることを,実感することができたのはいつのことだろう。

 伝聞で知ることと,肌で知ることの違いを痛切に感じた初めての経験はいつだろう。

 大切に育てられた経験の乏しい人が,自分を大切にすることはできるだろうか。

 他人を大切にすることがどれだけできるだろうか。

 人間の認識力は,「信頼」から「懐疑」へと重点を移していく。

 その逆はあり得るのだろうか。表面的なものではなく,深い意味として。

 「子どもたち」は,「子どもたち」であるからこそ,ただそれだけで「価値」をもっている。

 その「価値」は大切にするも何もなく,ただそこに「ある」ものである。

 そういう考え方が甘い世界に生きてきた人たちを救うのも教師の役割である。

 人間としての「価値」を軽視されたり,否定されたりして生きている子どもたちを救う人間が必要である。

 しかし,だれもが救える「場」にいるとは限らない・・・というより,そういう「場」に立てる人間はまれである。
 
 何が教師の役割かは,言うまでもない。

 教師として最も大切な仕事は何か。

 「子どもを大切に育てる」という行為が,「価値」のあるものであると子どもに思わせることである。

 相手に得をさせることで,自分も得しようとかいう話ではない。

 損得で動く人間の動機は理解しやすいし,そうやって人間は動きやすい。

 しかし,そうではない人間がこの世に存在していることを子どもに示せるのが教師である。

 また,何も考えていない人間と戦っている姿を子どもに見せることができるのも教師である。

 そういう意味で,何も考えていない教師も,役に立ってしまっている。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より