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教師のかかわり方ひとつで子どもは変わる

 教師になりたてのころなどに,一度くらいは聞いたことがある言葉だろう。

 たったひとことで子どもは傷つき,たったひとことで子どものやる気に火がつく。

 そんな経験をもった教師たちが,若い人たちによくかける言葉である。

 しかし,長年教師をしていると,「かかわり方」はそれなりの長い期間のあり方が問われてくることがわかる。

 長い期間にわたる励ましの結果,あるひとことで火がつく・・・

 コップの水にたとえれば,あと一滴であふれるというタイミングでかける言葉が大切なのである。

 褒め方にもさまざまある。

 おいしいご飯ばかりを食べて育った人には経験できないような

 「おいしさ」を味わえるようにするために,普段は質素な食事を心がける・・・といったようなかかわり方もある。

 こんなことを考えていたら,先日のある先生方の態度に唖然としてしまった。

 生徒同士が話し合いをしているときに,自分たちは遠くで椅子に座って休んでいた。

 今,その瞬間に,その生徒が話す一言に関心はないのだろうか。

 今,その瞬間に,その生徒がした表情のわけを知りたくはないのだろうか。

 そう。教師のなかには,子どもとの「かかわり」に関心のない人がいるのである。

 関心がありすぎて,子どものなかにすぐ介入してくる教師も考えものだが,

 少なくとも子どもは「かかわってくれる先生」という目で見てくれる。

 教師のかかわりに関係なく,よい成長を遂げる子どももたくさんいる。

 しかし明らかにかかわりを求めているようなタイプの子どもに近づくことができない人を,

 「教育者」とは呼べない。

 これからは,教師を「教育者」と「教育関係者」に分けて考えてみたらどうだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より