「はずれ担任」とは運命共同体
年度始まりになると,必ず話題になるのが小学校の「はずれ担任」問題である。
キーワード検索で訪れる方が増える時期になった。
都市部では,大量退職が始まっており,若い教師が急激に増えている。
小学校にとって「若さ」は最大の武器であると思うが,
保護者から「注文」をつけられやすいという弱点もある。
教師の立場からすると,成長の糧になるはずの「注文」には正面から向き合わなければならない。
当然のことだが,主幹教諭,副校長や教頭,校長とのホウレンソウを欠かさずに,
自分の考えをしっかりともてるようになることが大切である。
担任よりも校長の方が「大丈夫か?」と思う人がなっていることもあるが,
「子どもへの直接的な被害」はなさそうだから,たいていはスルーされている。
困るのは,校長が「注文」に対して過敏に反応し,余計なプレッシャーを担任教師にかけることである。
子どもには,「先生は今日も元気だったか」という声を私はよくかけていた。
「元気だった」と聞けば,「みんなしっかり授業を受けているんだね」とかえし,
「今日は元気がなかった」と聞けば,「先生に心配かけないように,しっかりと授業を受けよう」とかえす。
「へそを曲げた」という話を聞けば,「そういうこともあるだろう」とかえし,
「~ちゃんを叱っていた」と聞けば,「よくみていてくれているんだね」とかえす。
小学校では,子どもよりも,子どもを介した保護者と教師の関係がうまくいかなくなることが多い。
保護者としては,基本的に子どもは自分に都合のよいことしか話していない(というより,見えていない)ことを自覚した上で,なかなかうかがい知れない「客観的な事実」に思いを巡らせる必要がある。
子どもと教師の間で起こったことに,一方的かつ感情的な介入をする保護者の「注文」は,教師だけでなく,子どもも苦しめることになるという想像力をもっていたい。
それでも,明らかな「はずれ担任」にあたってしまった場合はどうするか。
LINE等による「ダメ担任ぶり情報集積」だけはやめた方がよい。
いつの間にか,自分の子どもとは関係がないことについても「被害者意識」をもってしまうことがある。
あくまでも自分の子どもから聞き取れる限りの内容を,感情的な言葉を交えずに,しっかりと記録をとっておくことを別の記事でも私は薦めている。
よほどのことがない限り,「担任外し」の実力行使には出ずに,「運命共同体」としてできるところからの少しずつの前進を目指してほしい。
幸いなことに,授業力不足が深刻でも,小学校の教育課程では,かなりの部分(算数を除き),子どもと教科書だけで力がつく。『学び合い』でもそれなりの結果が出るのは,そのためである。
できる限り,保護者会や授業公開,授業参観,学校行事等には顔を出し,挨拶をしっかりかわしておきたい。
親の教師に対する笑顔は,教師の子どもに対する笑顔になってかえっていく。
親の教師に対する批判は,子どもの教師に対する不信に結びついていく。
私は教師として,教師の指導に対する厳しい指摘は,校内の教師たちに任せてほしい,と言える学校づくりをしたいと考えている。
私は保護者として,子どもに家庭で教えられることはしっかりと教えていると胸をはれる親でありたいと考えている。
教師の中には,親に対する不満をぶちまけたい欲求のかたまりになっている者もいるが,多くの場合は子どもの笑顔に助けられ,昇華させていくすべを身につけている。
教師と保護者のいがみ合いの中で,子どもが不幸になっていく流れだけは避けたいものである。
« アクティブ・ラーニングという「形式主義」的教育が日本人の欠点をますます助長する | トップページ | 教師は初任校のイメージを捨て去れない »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
「リーダーシップ」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- マリオが総理大臣ならピカチュウを防衛大臣,ハローキティを外務大臣に(2017.12.02)
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
「学校評価」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
- 「怒鳴り殺し」の生活指導(2017.10.18)
- 9月19日 食育の日と給食大量食べ残し問題(2017.09.19)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教育実習」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「教員の評価」カテゴリの記事
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- ペーパーテストだけで「評価」ができる「教科」はない(2018.05.26)
- 子どもの人間関係に対する不感症の影響力(2018.03.28)
- 自分のダメさを完全に棚上げできる才能の伝授(2017.12.29)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教員研修」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「『学び合い』」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 人間の醜さを露呈させる教育方法(2018.01.15)
この記事へのコメントは終了しました。
« アクティブ・ラーニングという「形式主義」的教育が日本人の欠点をますます助長する | トップページ | 教師は初任校のイメージを捨て去れない »
コメント