ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« アクティブ・ラーニングという「形式主義」的教育が日本人の欠点をますます助長する | トップページ | 教師は初任校のイメージを捨て去れない »

「はずれ担任」とは運命共同体

 年度始まりになると,必ず話題になるのが小学校の「はずれ担任」問題である。

 キーワード検索で訪れる方が増える時期になった。

 都市部では,大量退職が始まっており,若い教師が急激に増えている。

 小学校にとって「若さ」は最大の武器であると思うが,

 保護者から「注文」をつけられやすいという弱点もある。

 教師の立場からすると,成長の糧になるはずの「注文」には正面から向き合わなければならない。

 当然のことだが,主幹教諭,副校長や教頭,校長とのホウレンソウを欠かさずに,

 自分の考えをしっかりともてるようになることが大切である。

 担任よりも校長の方が「大丈夫か?」と思う人がなっていることもあるが,

 「子どもへの直接的な被害」はなさそうだから,たいていはスルーされている。

 困るのは,校長が「注文」に対して過敏に反応し,余計なプレッシャーを担任教師にかけることである。

 子どもには,「先生は今日も元気だったか」という声を私はよくかけていた。

 「元気だった」と聞けば,「みんなしっかり授業を受けているんだね」とかえし,

 「今日は元気がなかった」と聞けば,「先生に心配かけないように,しっかりと授業を受けよう」とかえす。

 「へそを曲げた」という話を聞けば,「そういうこともあるだろう」とかえし,

 「~ちゃんを叱っていた」と聞けば,「よくみていてくれているんだね」とかえす。

 小学校では,子どもよりも,子どもを介した保護者と教師の関係がうまくいかなくなることが多い。

 保護者としては,基本的に子どもは自分に都合のよいことしか話していない(というより,見えていない)ことを自覚した上で,なかなかうかがい知れない「客観的な事実」に思いを巡らせる必要がある。

 子どもと教師の間で起こったことに,一方的かつ感情的な介入をする保護者の「注文」は,教師だけでなく,子どもも苦しめることになるという想像力をもっていたい。

 それでも,明らかな「はずれ担任」にあたってしまった場合はどうするか。

 LINE等による「ダメ担任ぶり情報集積」だけはやめた方がよい。

 いつの間にか,自分の子どもとは関係がないことについても「被害者意識」をもってしまうことがある。

 あくまでも自分の子どもから聞き取れる限りの内容を,感情的な言葉を交えずに,しっかりと記録をとっておくことを別の記事でも私は薦めている。

 よほどのことがない限り,「担任外し」の実力行使には出ずに,「運命共同体」としてできるところからの少しずつの前進を目指してほしい。

 幸いなことに,授業力不足が深刻でも,小学校の教育課程では,かなりの部分(算数を除き),子どもと教科書だけで力がつく。『学び合い』でもそれなりの結果が出るのは,そのためである。

 できる限り,保護者会や授業公開,授業参観,学校行事等には顔を出し,挨拶をしっかりかわしておきたい。

 親の教師に対する笑顔は,教師の子どもに対する笑顔になってかえっていく。

 親の教師に対する批判は,子どもの教師に対する不信に結びついていく。

 私は教師として,教師の指導に対する厳しい指摘は,校内の教師たちに任せてほしい,と言える学校づくりをしたいと考えている。

 私は保護者として,子どもに家庭で教えられることはしっかりと教えていると胸をはれる親でありたいと考えている。

 教師の中には,親に対する不満をぶちまけたい欲求のかたまりになっている者もいるが,多くの場合は子どもの笑顔に助けられ,昇華させていくすべを身につけている。

 教師と保護者のいがみ合いの中で,子どもが不幸になっていく流れだけは避けたいものである。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« アクティブ・ラーニングという「形式主義」的教育が日本人の欠点をますます助長する | トップページ | 教師は初任校のイメージを捨て去れない »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「はずれ担任」とは運命共同体:

« アクティブ・ラーニングという「形式主義」的教育が日本人の欠点をますます助長する | トップページ | 教師は初任校のイメージを捨て去れない »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より