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移行期間の中学校・道徳をどうするか?~「心情」「判断力」→「判断力」「心情」~

 昨日,文部科学省告示第六十一号として,一部改正学習指導要領が出されました。

 「道徳」を「特別の教科 道徳」とすることに伴う改正となり,新旧対照表も公開されています。

 「特別の教科 道徳」の目標は,

 「第1章総則の第1の2に示す道徳教育の目標に基づき,よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を広い視野から多面的・多角的に考え,人間としての生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。」

 となりました。

 これまでの「道徳」の目標が「学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情,判断力,実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする」というぼんやりしたものであったことと比べると,「考え」という言葉が2回出てくることからも,より主体的な学習が重視されることは間違いありません。

 また,「心情」と「判断力」という言葉の順が逆になっていることにも注目です。

 内容項目に通し番号はついていないのですが,全部で22となりました。

 それらを私がまとめたものが,次の図です。

Dotoku

 「道徳」のときもそうでしたが,一見して,「主として集団や社会との関わりに関すること」の比重が大きいことがわかります。

 「特別の教科」にされた経緯については,NHK解説委員室の解説アーカイブスに収録されているものがとてもわかりやすく整理されています。

 「特別な教科 道徳」の実際の授業をイメージするためには,「内容の取扱い」を熟知しておくことが必要です。

 ここでのキーワードは,「振り返り」であるというのが私の考えです。

>(3) 生徒が自ら道徳性を養う中で,自らを振り返って成長を実感したり,これからの課題や目標を見付けたりすることができるよう工夫すること。その際,道徳性を養うことの意義について,生徒自らが考え,理解し,主体的に学習に取り組むことができるようにすること。また,発達の段階を考慮し,人間としての弱さを認めながら,それを乗り越えてよりよく生きようとすることのよさについて,教師が生徒と共に考える姿勢を大切にすること。

>(4) 生徒が多様な感じ方や考え方に接する中で,考えを深め,判断し,表現する力などを育むことができるよう,自分の考えを基に討論したり書いたりするなどの言語活動を充実すること。その際,様々な価値観について多面的・多角的な視点から振り返って考える機会を設けるとともに,生徒が多様な見方や考え方に接しながら,更に新しい見方や考え方を生み出していくことができるよう留意すること。

 下線は私が引きました。

 (3),(4)で「考え」という言葉が7回登場しています。(3)では「自ら」が3回。

 今回は,以上の情報の提示だけで終えようと思います。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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