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教育実践者を敵・味方に分け,敵の自滅を望む大学教員

 教師がすべきことは,学習指導要領の総則,各教科編の解説を読めば,ほぼ自覚することができる。

 それを読むことを怠り,教科の目標をおろそかにした指導を行い,結果が出せないことに責任を持とうとしない教師が存在する原因の一つが,大学における指導者にある。

 私の勤務校における教育実習の場で,学生たちが死ぬほどの苦しみを味わうのは,

 一つには自分たちがまともな授業を受けてこなかったことが原因なのだが,

 一番大きいのは「大学の教職課程で学んだことに意味がなかった」ことを知るためである。

 以前に実習生の感想を載せたことがあったが,毎年同じような思いをしている。 

 私自身が免許更新講習を何年か前に受けてよくわかったことだが,大学の教員の中には,学習指導要領に示された目標や内容をきちんと把握していない者がいる。話を聞いているだけで,読んでいなくはないが,理解はしていないことがわかることがあった。教師がわかっていないことを,それらしく学生に学ばせたことにする一番よい方法が,『学び合い』である。

 「教えるべきこと」と「教えなくても大丈夫なこと」の区別がつきにくい若い教師が「教えない」選択肢をとってしまうと,「教えること」の効果を知らないまま経験年数だけが増えていくことになる。

 子供たちに「学ぶ意欲」が真の意味で育つことは,そう容易なことではない。

 特に,教師に「教える意欲」がないと見切った子供たちの多くは,できるだけ「学ばなくてすむ」ような道を選択するようになる。

 負のスパイラルに陥る危険性があるにもかかわらず,

 批判する相手を「敵」と見なし,しかもその「自滅」を望むと明言するような人間が教師を育てようとしているのが,ある大学での実態のようである。

 謙虚な人間と,謙虚なふりをする人間の違いは教師を20年もやっていると容易に見分けがつくようになる。

 「敵の自滅」はすなわち子供たちの不幸である。それを望む人間は決して「教育者」ではなく,

 シンパにすがりつつ自分の実践に酔おうとしている「教育関係者」にすぎない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より