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「外部機関」という呼び方のよそよそしさ

 学校評価の本格的導入とともに,「外部評価」も着々と進んでいる。

 多くの方が同じ意見だと思われるが,この「外部」という呼び方にはいささかの違和感がある。

 教師たちが行う評価は「内部評価」である。しかし,これは実施主体を念頭に置いた言い方で,評価対象は「外部」も及んでいる。

 「外部評価」の内容の多くは,もちろん学校「内部」のことである。

 「内部」「外部」と言い分けていること自体が,学校と地域等との高い「壁」,深い「溝」をつくってきたのではないかと思うこともある。

 いまや,学校の教師の役割は,学校内部でだけ果たしていればよい,というものではない。

 フィールドワークで校外に連れ出すこともあるし,もちろん修学旅行は校内ではできない。

 子どもは「学校外」に家庭を持ち,毎日登下校を行う。その途中でのトラブルも少なくない。

 「学校外」だから,学校には責任がない,などと他人事でいられるわけではない。

 このような「内」とか「外」という枠を外す手段はないものだろうか。

 たとえば,「教育地区」「教育地域」という平面上の「塗りつぶし」はできないものだろうか。

 敷地の中だから,外だから,などとせこい話をしていても教育は始まらない。

 「外部の人」と呼べない仕組みを整えることが,

 第二,第三の上村君をつくらないために必要なのではないだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より