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承認欲求だけが異常に強い人間がたくさん生まれるわけ

 人間は,人から褒められるために成長しているわけではない。

 人から褒められようとして人助けに精を出す人間よりも,

 ただひたすらに,人助けをしようとしている人を褒めたくなるのが人間というものである。

 もちろん,人から褒められたいと願う気持ちを否定するつもりはない。

 しかし,「どうしてこの人,私を褒めてくれないんだろう」と怪訝な顔をするような人間に子供を育てたいとは思わない。

 人から褒められたいという思いが強い人間ほど,他人を褒めないという傾向があることは,中学校教師で子供をよく観察していればよくわかるし,教師集団からも気づけることである。

 お返しに人から褒められたくて,たいしたことがないことで相手を褒める人間もいる。

 「お返し」がなかったときのがっかりした表情を見ることで,褒められたこちらも失望感を覚える。


 歪んだ承認欲求が育まれる背景は,家庭と小学校にあると私は考えている。

 40人の個人と1人の教師が長時間向き合う小学校という環境では,

 指導力の乏しい教師ほど,子供のご機嫌をとる機会が多くなる。

 以前から紹介している,子供を「モノ」にたとえて

 「こうすると,こうなる」などという操作主義そのものの「指導法」マニュアルに基づく指導は,

 教師自身も「マシーン」に変えていく。

 いかに「モノ」と「マシーン」のやりとりが不自然に見えるかは,やはり小中学校の授業を見比べてもらうしかないだろう。

 人間の成長は,そう簡単に成し遂げられるものではない。

 そういう事実をしっかりと受け止める経験は,上級学校に進むにつれて増えてくる。

 「褒めたらその気になるから」

 「褒めることで伸びるから」褒めるのではなく,

 「人間として立派だから」褒めるという,人間として自然なあり方を教師は求めるべきである。

 「褒めよう」として人を褒める行為はやめるべきである。

 個人個人は,自らの力で成長しよう,と願っている存在である,という認識のもとで,教師は子供に接するべきである。

 最後に,子供への対応と親への対応は若干異なることを忘れてはならないことを付記しておく。

 親は決して貶したり,批判してはならない。むしろ無理にでも褒めるべきである。

 日常的に一緒に生活し,指導によって変えられる子供たちと,そうではない人たちは区別しなければならない。

 それは「教育者」としてではなく,「社会人」としての常識である。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より