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大学の教育学部における「セクハラ」の研究

 ある大学の教育学部教授が懲戒免職になったというニュースの波紋が広がっている。

 大学は氏名を公表していないが,個人の特定は比較的容易だったようで,関係者にもショックが広がっているようだ。

 この大学では,ぜひ研究者を雇って,「大学におけるセクハラの研究」を実施してもらい,徹底的に調査をしてほしい。

 私自身も直に感じたことがあるが,権威主義的な匂いが濃い地域である。そうではない地域より,公表されている被害の件数は小さくても,実態は異なる可能性がある。

 影響はどこまで及ぶのだろうか。

 掲示板の情報だから信憑性には欠けるものの,同じようなセクハラ被害が常態化していたのではないかという疑惑は深まる。

 この教授に単位をもらって卒業し,社会に出たり教育現場に立っている人は多いのだろう。

 教育に関係する場所での「セクハラ」で,被害が明るみに出にくいのが,「パワハラ」ができる条件も整っているところである。

 「単位が出せる」人間と教え子の関係は,教育実習を担当する教師と実習生の間でも同じようなものである。

 まさか,「セクハラと引き替えに単位をもらって先生になっている」などと今更カミングアウトもできない。

 「閉鎖性」については,小中学校や教育委員会をはるかに上回る

 大学教育の現場について,もっと「世間の目」が向けられる条件を整えることも必要だろう。

 小保方氏のような研究者についても同じことが言える。

 小中学校には「授業参観」や「PTA関係の行事」などがあるが,大学にはないから,

 親には全く内部の状況がわからない。

 そのうち,大学で「保護者会」が当たり前のように開かれる時代が来るのだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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