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アクティブ・ラーニングを文部科学省はどう捉えているか?

 雑誌『教職研修』2月号に掲載されている塩見みづ枝・文部科学省初等中等教育局教育課程課長の言葉から,今回の諮問についての重要なポイントを拾っておくことにします。私なりのまとめです。

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 次期学習指導要領改訂は,今までの学習指導要領を否定するものではないこと。

 まるっきり新しいことを始めようということではない。

 学校現場で蓄積されてきた「よさ」をさらに伸ばすためにも,学習指導要領の改善・発展を図ろうとしていること。

 これからは,「何を知っているか」という知識の量だけではなく,子供たち一人ひとりが実際に生きていくなかで必要となる,「どんな力を身につけているか」が重要になる。

 「教える内容」を中心としてきた学習指導要領だが,そもそも子供たちにどんな力を育てていくかのかを明らかにする必要があり,その力を育てていくために,どのような学習活動でどんな内容を学んでいく必要があるかを示していくことが大切。

 新学習指導要領では,育てるべき力を踏まえた目標・内容・方法・評価などのあり方を再構成していくことになる。

 これからの子供たちの育てるべき力を育むためには,「主体的・協働的に学ぶ学習」が必要であり,その学習のことをアクティブ・ラーニングと呼んでいる。

 この「アクティブ」というのは,「単に活動をすればよい」ということではなく,大事なのは,子供たちが「頭の中をアクティブにして,しっかりと考える」ということ。

 これからは全部,アクティブ・ラーニングという型にしなければいけないのだ,ということではない。教師が教えるべきところはしっかりと教え,覚えるべき知識はしっかりと覚えさせ,反復練習が必要な場面ではそれを重ねながら,その知識や技能を活用して,子供たち一人一人が主体的・協働的な学習を通じて深め合っていくということが必要。

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 以上のことを踏まえると,結局のところ,

 学習指導要領は,その総則や『学習指導要領解説』に示されたことがら,

 『評価規準・評価計画』で定めていたことがらも盛り込んだものにする,ということなのでしょう。

 昔から,学習指導要領だけを読んだのでは,どのような授業をすればいいのかよくわからないもので,

 必ず『学習指導要領解説 教科編』を参考にしたものでした。この『解説 教科編』の解説本まで出回っていたものです。

 全部を一つにする,ということになるでしょう。

 もう一つだけ,重要なポイントを引用しておきます。

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 現行学習指導要領では,各教科,道徳,外国語活動,総合的な学習の時間,特別活動といった縦の「系列」ごとに章立てをして記述をしてありますが,これからの時代を生きる子供たちに必要になってくる「資質・能力」というのは,縦の系列だけでなく,これを横断するような視点での学習も併せて行うことで,よりよく育つのではないかと考えているのです。

*******************

 総合的な学習の時間は,ここでいう「横断の視点」で実施するはずのものだったのでは?

 それほどまでに,「総合的な学習の時間」が無残な姿になっている今の学校にとって,次期学習指導要領が期待しようとしていることは,荷が重すぎる気がしています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より