なぜ大選手ではない人が優れたコーチになれるか?
人にものを教える職業には,様々ある。
「教える立場」の人間が,かつてはその道でプロフェッショナルであったとしても,
「優れた教師」になれるわけではない。
スポーツの世界では,選手たちから尊敬される「記録を残した選手」や「スーパースター」は
何人かいるが,だれもが「優れたコーチ」にはなれない。
一方で,こういうこともあり得る。
野球のプロ選手が,中学校の体育でバレーボールの指導をするとき,
バレーボール選手では思いつかないような優れた教え方をする。
「できる人」と,「人ができるように教えられる人」は一致しない。
「できない人」でも,「人ができるように教えられる人」はいる。
それがなぜかをわかっていない人間は,教師にはならない方がよいだろう。
教育は,他人に自分と同じことをさせる営みではない。
エデュケーションの語源は大学時代の「教育原理」で必ず習う内容であるはずだ。
自分が子ども時代にどんなに勉強ができない人間であっても,
教師になる道をあきらめる必要はない。
自分が「なぜ~できるのか」がわかっている人はそう多くはない。
だれのどのようなアドバイスで,また,自分のどのようなトレーニングで,それができるようになったのか,厳密な意味で選手は知ることはできないだろう。
同じことをアドバイスされ,同じメニューのトレーニングでできるようになる人とそうでない人がいる理由を,どこまで正確に説明できる人がいるだろうか。
教育現場には,「教育がどういうときに失敗するか」の事例でいっぱいである。
余計なことをしないか,そこだけは大切にすべきというところには力を入れるかに気をつけるだけで,
子どもの成長を邪魔しないですむ。
あるプロ野球のキャンプのレポートで,あるコーチの「教え方」を批判していた人がいた。
もちろん大選手で,大監督で,優れたコーチであった。
「余計なことをしない」ことに重点をおいていた人である。
教育現場は「プロ」を相手にした仕事ではないが,もう少しこのような姿勢を重視すべきかもしれない。
そうでないと,子どもはやがて,非常に厳密で正確な「教師の教育力の評価」に目覚めてしまうだろう。
「教えてくれないことに不満を感じる」くらいがちょうどよい感覚は,ベテランでないと味わえないかもしれないが。
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