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タブレット端末の時代は終わり,大型画面のスマホの時代へ

 教育現場でのICT機器の利用については,2~3年スパンの研究が終わると,もう研究中に使っていた機器は古くて使えなくなっている,時代が訪れるだろう。

 今や,高校生のほとんどがスマホを持っている時代である。

 中学生にもすごい勢いで広まっている。

 やがて小学生の多くがスマホをもつ時代になるだろう。

 とすれば,「持ち込み禁止」という原則は難しくなっていき,

 むしろ「授業でも利用してもらいます」という方が,

 学校や教育委員会,教師は費用負担という意味でプラス,

 親には経済的な負担がかかるが,単なる通信費に教育費の意味が加わることになり,

 子どもは学校で堂々とゲームやメールができてしまうという意味で,

 だれもが「得をする」結果になる。

 2020年の東京オリンピックのころには,小中学生もスマホを使って,

 来日した外国人とは音声翻訳ソフトを使って堂々とコミュニケーションをとるなど,

 今まででは見たこともない「国際化」の光景が当たり前になるかもしれない。

 英語の授業は,スマホのアプリを用いた学習が主流になり,

 定期考査などのテストも,アプリで出題し,解答を集め,文章題も教師のパソコン上のエクセルシートで解答が一覧で表示され,キーワード検索などでほぼ自動的に採点ができるようになるなどのシステムも可能になるだろう。

 通話などは耳にとりつける小さな機器があればできるから,「携帯電話は小さい方が便利」という言い方もできなくなっていく。

 iPhone 6の影響で,iPadのWebコンテンツ利用が減少しているというニュースが出たのは昨年のことである。

 実現可能性の低い「タブレット革命」の「先」を見た行動が教育界には必要になっていくだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より