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学校教育は,校種ごとの課題の違いが非常に大きい

 ある教師の体験記を読んでも,どうしてもそれが「どこにでもあてはまる話」には見えてこない。

 「教え方を知らない教員」が本当に8割もいるのか,信じがたい話である。

 特に,行政や管理職の目線に立って教育現場の課題を考えた経験のない人の教育論は,

 「新聞の投書」「掲示板への書き込み」のようなものである。

 それでは「読み捨て」で終わりとなってしまう。

 現実問題として,小学校における「学級崩壊」の情報は次々に飛び込んでくる。

 「学び合い」だとキョウインは言い張っているようだが,

 実態としては崩壊しているとしか思えない「授業」?も多々あるようだ。

 何しろ,その時間で「身につけているはずの力」がついてないのでは,言い訳のしようもないだろう。

 「子どもを見捨てない」のは,補習をさせられる上級学校の教員の仕事になってしまっている。


 教育現場の課題について,マスコミによって報道される教師による犯罪行為などはとても分かりやすい

 「言語道断」のニュースなのだが,

 「自分はプロの教師だ」という自負(気負い?)を持っているような教員にとっては,

 今,そこにいるキョウイン自体が言語道断なのである。

   時間を守らない。

   事前に決めていたことをなかったものとして行動し出す。

   整理ができない。

 子どもに何かを語る資格があるとは思えないキョウインとともに,教師は子どもに向き合わなければならない。

 多くの場合,「子どもに助けられている」面が多いことを,キョウインたちはどのくらい自覚しているのか。
 
 
 こうした,小中高いずれにもあてはまりそうな問題もあれば,各校種に特有のものもある。

 それらの処方箋を考えるための仕組みとして,学校評議員制度は機能しているだろうか。

 していないとしたら,どこが教育を変えることができるのか。

 
 今,小中一貫や中高一貫が「はやり」だが,

 新しい取り組みが「空中分解」状態にあるところも多いようだ。

 具体的な「すれ違い」の実態を,先日,当事者の先生から耳にした。


 中高もそうだが,決定的に「ズレ」が大きすぎてどうしようもないのが,

 小中の部分である。

 そもそも免許が異なるからと言ってしまえばそれまでかもしれないが,

 最大の原因は,教科指導の「専門性っぽさ」に埋没する傾向にある小学校と,

 過度に特別活動や部活動の指導に埋没する傾向のある中学校という

 それぞれ独自性の高い学校文化の衝突にある。


 ある意味では,小中一貫という「強制的に生まれた新しい鋳型」でしか解決できない,という予想も可能かもしれない。しかし,強制だからこそ,

 「それなりのいい連携」ではなく,「嫌々取り組まされる連携」という受け止め方による悪影響の方が大きくなっている。

 下手をすると,「共倒れ」になる。

 「ジリ貧を避けようとしてドカ貧に陥らないように」

 という忠告がありながらも,戦争に突入し,自滅の道をたどった組織と同じタイプの失敗は繰り返してはならない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より