ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« イスラム国の要求と「疑似命題」の関係 | トップページ | 日本ほど「革命」が陳腐なフレーズで語られる国はないだろう »

プロの教師は「伝わる言葉」に変換できる人

 成果がもとになって自分の指導に自信がある教師が,失敗に陥るケースがある。

 それは「以前に通じた」言葉が,「今の子どもに通じる」とは限らないことを自覚していないことによるものである。

 全く同じ方針,同じ内容を教えるにしても,子どもへの「伝わり」方を左右するのは「言葉」であることを自覚するべきである。

 社会科などでは良い例が,事象の「たとえ話」にある。

 20年前の「たとえ」が現在で使えない理由は,現在では「たとえられた対象」を子どもが知らないからである。

 「ポケベルみたいな音がした」という言葉が通じない子どもは多いだろう。

 上記の自覚がない教師は,「昔はよく理解できていた子どもが,今は全然反応がなくなっている。原因は学力低下だろうか」と思ってしまうが,実態は自分自身の「指導力低下」による結果である。

 この手の話をこの20年間の間でもよく耳にする機会があった。

 教育公務員は「研究と修養に励む」ことを義務づけられた存在だが,「子どもに通じる言葉を話し続ける」ために,まずは子どもの反応をよく見ることである。

 原因を子どもに求めるのではなく,自分自身に求めることが重要である。

 もともとアナロジー思考力に乏しく,「たとえ話」ができない人にはそもそも「伝わる言葉を使うように努力する」という発想がない。

 辞書にこう書いてあるから,この意味で使っている,などと子どもに対しても指導するから,相手にされなくなるのだ。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« イスラム国の要求と「疑似命題」の関係 | トップページ | 日本ほど「革命」が陳腐なフレーズで語られる国はないだろう »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: プロの教師は「伝わる言葉」に変換できる人:

« イスラム国の要求と「疑似命題」の関係 | トップページ | 日本ほど「革命」が陳腐なフレーズで語られる国はないだろう »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より