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« 「意欲」が重視されない日本の教育と社会~小学校教育がもつ可能性~ | トップページ | 「既成メディアも危険をおかしての取材姿勢を学ぶべき」という指摘の危険性 »

他人の教育論を具体的に批判すると,必然的に自分の教育論のボロが出る

 教育論のカテゴリーでは,やはり教育論を論じることが正統的な行為だろう。

 より具体的な教育方法の議論になると,自分の教育方法の問題も浮き彫りになる。

 原典を確認してはいないが,「気になる子どもには気軽に声をかけるな」という趣旨の「格言」があるらしい。

 私もそれは正しい指摘であると感じる。

 もしも中学校で,「気になる子どもには声をかける」という原則が徹底された場合,どのようなことになるか想像してみてほしい。

 ある特定の子どもは,「気になる」すべての教師から声をかけられ続けることになる。

 これは,子どもたちの間で声をかけられることとは全く意味が異なる。

 だから,教師は「子どもが気になる」からといって,不用意に声をかけてはならない。

 むしろ,何でもなかった(教師の側の誤解だった)場合などは,余計な不安を煽ったりしてしまう。

 小学校の教師のように,自分しか子どもと話す大人はいない,などと誤解している人間にとっては,

 「声をかけないことが悪」のように思えるらしい。

 もちろん,階段から足を踏み外しそう,だとか,前を見ていないで,人にぶつかりそう,というときはすぐに声をかけなければならない。

 声をかけるタイミングも大事だが,声をかけないでおく,という配慮もときとして重要なのである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より