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佐賀・いじめ裁判で明らかにしてほしい「精一杯の対応」

 一般の公立学校に限ったことではないが,生徒同士のトラブルやいじめへの対応にかかる労力は,並大抵のものではない。これは,実際に対応にかかわった教師にしかわからない苦労かもしれない。

 夜中の11時すぎに電話がかかってきて,2時間以上,親の話を聞いたりするようなことも,決して「ごくまれ」なことではない。

 様々な原因によるトラブルへの対応に一年中追われている中学校の教師たちにとって,訴訟への対応というのはさらに追い打ちをかけるような事態だと感じているだろう。

 しかし,だからといって訴訟に踏み切った生徒を非難できる人間はいないだろう。

 なぜ学校や教育委員会といじめにあっていた生徒のコミュニケーションがしっかりと図れなかったのか。

 「精一杯の対応」をしてきたというが,それは何だったのか。

 学校といじめをしていた生徒の関係はどうだったのか。

 最も重要かつ重大な点は,いじめの実態がどうであったのか。

 すべてが裁判で明らかになるだろう。

 「閉ざされた空間」である学校と,「さらにそれを上回る閉ざし方」をしている教育委員会が,

 どのような対応をしていたのかが,明らかになるだろう。

 おそらくは,「勝者」がいない戦いになるにちがいない。

 しかし,それを「不毛な戦い」にしてはならない。

 いじめの対応という「簡単そうに見えて,実は単純にはいかない」教師の役割,教育委員会の役割,学校での生徒間の人間関係について,少しでも理解が深められるとよいと思う。

 いじめへの対応に,「これが正解」という単純な「解」はない。

 いじめの決定的な要因が,プライバシーの保護の原則のもとで公にできないため,説得力のある説明ができずに,不信感が高まるというジレンマに陥ることも多い。

 「すれちがい状態」はどのようにしたら解消できるのか。

 司法に解決法を見出すことはできないかもしれないが,何か良いヒントが得られるように,しっかりとした取材を新聞社の方にはお願いしたいと思う。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より