ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 『学び合い』信仰が前提としていることの問題点 | トップページ | 「指導力がない」というレッテル貼りをされた小学校教師のために »

他人への批判が正直な自己開示になってしまっている話

 スポーツにしろ,音楽にしろ,なかなか上達しないとき,

 人は「自分には才能がないのではないか」と不安になったりする。

 では,だれかに「才能がない」ことを見抜ける人間はいるのだろうか。

 いるはずがない。

 人間は,「利己的な面」をそれなりにもっている。

 だからこそ,世の中はうまくいかないことが多い。

 そして,「利他的な行動は尊いものだ」と教えられる。

 しかし,だれかに対して「お前は利己的だ」と正面切って批判できる人間はいるのだろうか。

 「お前こそ何なのだ」という堂々巡りが続く。

 嘘をついたことがない人はこの世にいるのだろうか。

 入試で気分が悪くなったとき,「大丈夫?」と聞かれて,

 正直に「気分が悪いです」と言える受験生はどのくらいいるだろうか。

 相手を心配させないための嘘をはじめとして,

 相手をだますための嘘でも,本当に人は「平気で」・・・つまり,

 良心の呵責も全くなしに,嘘をつくことができるのだろうか。

 本人がそういう嘘をつけるのならば,うなずかざるを得ないが。

 人の悪口を書くとき,それは結局,自分の本来を姿を述べているにすぎない場合がある。

 「おれはあいつに才能がないことを証明できる」と本気で思っている人間ならば,

 「才能がない」と他人に言える人間がいることはうなずかざるを得ない。

 人格は,他人を批判しているときに素直に表面に出てきてしまうものらしい。

 国会の「論戦」も,人格とか品格を観察されているという意識をもって,臨んでいただきたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 『学び合い』信仰が前提としていることの問題点 | トップページ | 「指導力がない」というレッテル貼りをされた小学校教師のために »

教育」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 他人への批判が正直な自己開示になってしまっている話:

« 『学び合い』信仰が前提としていることの問題点 | トップページ | 「指導力がない」というレッテル貼りをされた小学校教師のために »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より