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「腐った教師脳」の分析

 遺体画像を授業で子どもたちに見せた教師たちに対して,文科大臣も尾木ママも,強い口調で非難している。

 掲示板等ではキツイ非難が散見される。 

 私自身も教師の一人として,見逃すことができなかったのは

 「腐った教師脳」というフレーズである。

 思春期の子どもたちにとって,「他人」である教師は親以上に「ウザイ」存在になったり,「憎しみ」の対象になったりする。

 学校時代によい思い出のない人たちに限らず,今でも「教師」が敬う存在ではない人は多いかもしれない。

 退職した後,年賀状が何枚届くか・・・届き続けるかで,卒業生たちの「思い」はわかるものである。

 さて,「腐った教師脳」とは,どのような「脳」なのか。

 その「脳」のはたらきによって,どのような「問題行動」が生み出されていくのだろうか。

 遺体画像を見せた教師に,「ためらい」はなかったのだろうか。

 そもそも,私はそのような画像を見たいとは思わないし,養老孟司がどこかの文章で書いていたように,

 人間は「変わること」を恐れる生きものであり,「死体」「遺体」を目にしただけで,相当のショックを受け,想像できない「何か」に自分が変化することを忌避する人が多いことは,想像するまでもなくわかるはずのことだ。

 だから,TVや新聞にそのような画像が無修正で出されることはない。

 大人でもそう感じる「遺体画像」を,おそらくは「興味本位」で「見たい」と言った子どもだけを対象とするのではなく,教室で画面に映してしまうような行動がどうしてとれるのだろうか。

 このような画像を見た経験をもつ子どもがどうとかいう話はここでは書かない・・・というか,書けない。

 かつて,14歳の少年が起こしたショッキングな事件を知らぬはずはあるまい。

 その画像(があるかどうかは知らないが)も機会があれば見せるのか?

 「命の大切さ」を知ってほしいという前に,

 遺族の気持ちも何も考えず,「遺体を公開する」ような行為をする人間自身が,

 本当に「命の大切さ」を知っているかどうかを自問してほしい。

 「腐った教師脳」には,「命の大切さ」,「御遺族の心情」・・・そして何よりも,亡くなった方々の「無念」はどのように認識されているのだろうか。

 「目の前の(一部の)子どもに,そのときだけ,ウケ入れられること」に齷齪している教師の姿が私には浮かんでくる。

 教師は,努力しようとしているわけである。

 自分の存在意義が,その行為によってたとえ一瞬でも認められるのであれば,

 「その後,どんな事態が待ち受けているかを想像できずに」

 行動にうつしてしまう・・・・「腐った教師」ではなく,一瞬だけでも「存在価値のある教師」として認めてもらおうとする努力は,そのような思考回路で生じてしまうのではないか。

 私の想像だが,都市部の学校での事例が明るみになっていないことから,

 どこかのレベルで隠匿されているのだろう。

 学校,教育委員会レベルで,情報は抑えることが可能である。

 「遺体を見た子どものいる学校」というレッテルは,

 「どうせ大勢の子どもが家族と一緒に見ているのだろう」などというただの「想像」を超えて,

 深刻なものになり得ることをだれもが知っているし,

 健康被害がなければ,「なかったことにできる」のである。

 しかし,子どもの心に与える影響を,甘くみることはできない。

 体調がすぐに悪くなる子どもばかりではない。

 「時限爆弾」のスイッチを押したことの自覚だけはもっていてほしい。

 「心の研究者」には,ぜひともこの「スイッチ」を切る手段を開発してもらいたい。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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