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「考える力」を奪う社会科の授業

 社会科=暗記科目ととらえている子どもや大人は少なくないだろう。

 センター試験に代表される駄問・愚問だけが原因ではない。

 多くの教師が安易な試験問題でお茶を濁しているからである。

 「覚える」ことではなく,「考えて理解する」ことが大切なのは,

 もちろん社会科だけではない。

 社会科には,「生きた教材」にあふれているという教科固有の特徴があり,

 「遺体画像を子どもに見せる」ことに教育的価値があると考えてしまう教師が生まれる理由の一つになっている。

 「生きた教材」のなかには,子どもの「感情」に強力に働きかけるものがある。

 しかし,「感情」に支配されると人間は「思考力」を失ってしまう。

 それをねらいとしているかのような授業も存在する。

 様々な授業を参観してきたなかで,最も痛ましかったのが,

 水俣病の授業であった。

 その教師は,20分以上にわたり,

 「水俣病の悲惨さ」を物語る映像をひたすら生徒に見せ続けていた。

 そして,その感想を述べさせていた。

 生徒に「考える」時間は与えなかった。

 「考える」ための資料も提示されなかった。

 日本には,このような社会科の授業を「取り締まる」手段がなかった。

 朗報がある。

 「遺体画像を見せられた」子どもたちが,その事実を簡単に公表できる手段を得ている。

 子どもたちが利用できる情報端末は,学校で教師が行っている様々な問題行動を直接訴える手段として活用することができる。

 体罰などの教師による暴力行為も,やがて丸裸にされる時代が来るだろう。

 教師がICT機器を活用できるようになるよりはるかに早く,

 子どもがICT機器で学校の問題を暴けるようになる。

 教師たちは,全力で「ICT機器」の排除に向かうようになるかもしれない。

 数年先には,どうみてもただのメガネにしか見えないものが,カメラになっており,家にいる親が授業をそのまま受けられるようになるかもしれない。

 教師も同じメガネをかけて,目にしたものはすべて記録される。

 「監視社会」の到来で何が失われ,何が「成果」として残るだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より