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教育論・教育問題というカテゴリー

 教育論・教育問題というカテゴリーは,教育ブログの中でも最大の参加者をもつところです。

 ブログ村は管理がゆるいことも魅力のひとつなのでしょう。

 教育論も教育問題も扱っていないブログでも「住民」として認められています。

 私としては,それは非難されるべきことではないと考えています。

 参加者が多いということは,自然と人の目にふれる機会も多いということで,「宣伝・広告」の効果も高いわけですね。

 塾などの教育産業にイチャモンばかりつけている人がいますが,この多くはキョウインか元キョウインでしょう。

 顧客でも何でもないわけですから,そんなイチャモンは無視していればよいのです。

 ただ,やはり見当外れの批判は放置しておけませんね。

 学校にいるとときどき出会うのですが,子どもに限らず親までも,自分の主張が正しいと言い張る人間はおかしいと,自分の方の主張の正しさだけを強調してくる人がいるわけです。こういう人たちに,「あなたの方がおかしい」というのは逆効果です。自分が言っていることの方がおかしいことに気づけるようにするのが教育ですが,それには相当の「指導力」が必要で,なかなか満足のいく成果は私も出せないでいます。

 どうして「聞く耳を持たない」人がいるのでしょう。

 自分のことを「振り返る」経験がなかったのでしょうか。

 あるいは,「自己評価の適正さ」を何人かの大人に判断してもらう機会がなかったのでしょうか。

 他人を「独善的」だと批判することが大好きな独善的な人に育てないようにするためには,やはり「多面的な評価」の機会は必要になります。子どものなかには,自分を否定されるとすぐにカッとなり,相手への攻撃を強める結果になるのが目に見えているのもいますから,どうしても「評価」は甘くなりがちです。

 ですから,「評価」が辛くできる環境をつくらなければならない。

 その方法のひとつが,「入試」であるわけです。

 勉強を「暗記力で何とかなる」と思っている人というのは,

 「そういうレベル」の学力の人であるわけです。

 以前にも書いたように,最低でも,地歴などでは,東大や一橋大といった国立大学レベルの入試にそろえてもらいたいというのが私の主張です。

 東大の入試問題を解くのに,「暗記力で何とかなる」と思う人はだれもいないでしょう。

 そういう力を求めている,ということをもっと大学はPRした方がよいですね。

 しかし,良問をつくるというのも至難の技。それなりの作問力のある人が大学にいないと,「事故」を起こしかねません。

 中教審の出した答えは,「理想」というか「空想」に近い。

 東大入試を参考に,で終わることはできないでしょうかね。

 最近も,「東大のディープな日本史(世界史)」といった本が売られています。

 メチャクチャ細かい知識を穴埋めで問うような「難問」「悪問」ではない,良質なテスト問題に慣れる経験を増やすべきでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より