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【重要提言】ALの充実策とは,時計の針を60年以上戻すことか,教科書を廃止すること

 毎日新聞が1月8日の15時ころに配信したニュースの内容が,あまりにむごい。

 記事のタイトルは『<課題解決型学習>授業法を開発へ…来年度、文科省が研究所』というものだが,ここに「課題解決型授業のイメージ」が,「従来の教え込み授業」と対比させるかたちでイラスト化されている。

 今時,小学校で例示されているような「教え込み授業」をしている教員がいるとは考えにくい。

 教科書でも,少しは「課題解決型授業」ができるように編集されている。

 そして,iPadのような機器を用いて「双方向のやりとり」をしている場面が描かれ,これが「AL(アクティヴ・ラーニング)」だと示そうとしているようだが,折り紙でできることをICT機器を使って考える必要はないし,教師1人と子ども2人という設定自体がナンセンスである。

 課題解決型授業は,単純に言って習得できる内容が非常に少なくなる。時間がかかりすぎるのが最大の欠点であり,かつ,それなりの「思考力,表現力,協働力」を伸ばせるという保障もない。グループで課題に取り組ませると,一部の生徒による学習成果で他の生徒が満足してしまう『学び合い』のような欠陥だらけの学習になってしまう恐れもあるし,グループの数や生徒の人数が多いと教師が評価することも難しく,時間がかかるのも欠点である。

 こうした三重苦・四重苦を,日本ではすでに戦後すぐに開発されたカリキュラムで経験している。

 だから,方向性としては60年以上前と同じ失敗を繰り返すゴールに向かっていることになる。

 当時は,教科書がないのが「困る理由」だったが,逆に言えば,そのときに,「教科書がなくても教師が自分で教材を考えて実践せよ」と突っぱね続けていたら,もしかしたら日本式の課題解決型学習が定着していたかもしれないのである。

 文科省が決断できる最善策は,

 50年後を見据えての,教科書の即廃止だろう。

 学習指導要領の目標と内容に則した課題解決型授業を義務づける。

 どのようなカリキュラムで実施したかを報告させる。そのカリキュラムや,実践内容・方法,評価事項・方法を検証する仕事を大学に任せたる,業者に委託させたりする。

 この英断ができれば,本当の「教育改革」を始めることができるかもしれない。

 「思考力・判断力・表現力」の育成に結びついていない「総合的な学習の時間」を廃止するというのも一つの方法である。週2時間分が浮けば,たとえばある週は数学で2時間続きの授業,次の週では社会が2時間続きなど,柔軟なカリキュラムが編成できるようにもなる。

 社会科や理科,英語などは,毎日の新聞が教材になるかもしれないから,新聞社あたりの方々には食いついてほしい提案なのだが。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
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  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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