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人の心を傷つける「風刺絵」を描く自由(追記あり:意識調査の現状)

 「Fukushima 風刺絵」で検索すると,日本人として悲しい思いや憤りを感じるようなイラストに出会える。

 日本の場合,これは「風刺絵」ではなく,「いたずら書き」の範疇に入るものだと思われる。

 「想像図」「空想の恐怖絵」である。

 テロといたずら書きの「罪の重さ」は比較にならないほどテロの方が重いものと感じられるが,宗教を生活上の根本原理とするような人々にとっては,「肉体ではなく精神を攻撃するテロ」は絶対に許せないものであるというのもわかる。

 「肉体よりも精神を貴ぶ」という心・・・名誉を守るために死を選ぶという考え方は,武士などのように,かつての日本の一部には存在していた。

 テロに対して,武力による制裁を果たした国もあったが,「表現の自由」の原則を武器にして,「絵」によって復讐する,という手段はやはりそれなりの効果をねらって意図的に行われるものである。

 私たち日本人にとって,一定数のフランス人に圧倒的な支持を受けている自国のメディアとイスラム社会の人々との確執は,「終わりの見えないケンカ」として認識する程度ですませてよいのだろうか。

 人間の「闘争本能」は,「言葉と言葉の戦争」で解消されるというのであれば,「表現の自由」は全面的に認められるべきだろう。

 「黙ったら負け」だから延々と続くことになるだろうが。だれも死ななくてすむのなら・・・・。

 しかし,テロが身近な脅威になってしまうと,そうは言っていられなくなるはずである。

 フランスの国歌の内容は皆さんご存じだと思う。

 そういう国民性が招く不幸を私たちは知っている。

 命よりも自由が大事だ,という主張は,否定はできないが,自分や自分の子ども,自分の親が自分の語った言葉がきっかけで失われるような事態を,「相手が絶対的に悪い」と言い張り続ける勇気を人は持てるのだろうか。

 再びの悲劇が繰り返されないことを祈るばかりである。

******************

 追記(1月18日11時40分) Yahoo! の意識調査の現状

 「表現の自由」として賛成           15.8%   7,424票
 
 イスラム教の価値観を尊重せず、反対   72.9%  34,203票

******************
 
 追記(1月18日21時)
 
 フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」は,ムハンマドの風刺画が掲載された最新号の発行部数を500万部から700万部に再増刷するらしい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より