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「研究者ぶる」教師は手に負えない

 学者と専門家の発言の意義の違いは以前に説明したが,もう一度繰り返すと,

 学者は学問の自由という原則のもとで,自分の学説を述べることができる。

 しかし,専門家として呼ばれてどこかで発言する場合は,自分の発言を真に受ける人がいることも想定して,注意しておかなければならない。

 両者の違いがあいまいなのが,大学の教員である。

 社会科教育などの場合,学会自体がすでに時代遅れになっているせいか,新しい知識をもっていない大学教員がいることがわかる。

 何十年か前に書かれた本の中身のような話を延々とされても,その本で学んで成果を出した教師が現われていない以上,使えない内容だということが判断できなければならない。

 直近では,自分の教え子が学校現場で「よい教師」と認定されていなければ,ある程度の責任を感じてもらいたい。

 学校現場で最も使えないのが「研究者ぶる」キョウインである。

 研究者なら,自分の考えが正しい根拠が整然と述べられる。

 しかし,「研究者ぶる」キョウインは,「自分が正しい」ことを自分の考えが正しいことの根拠にしてしまう。

 どうしてこういうキョウインが生まれるのかというと,それは直近の「恩師」のおかげ(?)に違いない。

 社会科教育の現場では,「資料や根拠に基づいて自分の意見を述べる」ことは常識であるが,最近の大学の授業では,資料すらまともに扱えない学生が増えている。それは,大学の教員が相当量の資料の提示を怠っているせいだと想像する。

 シラバスには,授業で扱う数百から数千の資料も参考のために載せておいてみたらどうか。

 資料の質から授業の質は判断できる。

 しかし,そもそもこのような資料を必要としない大学教員の教育観がブログで平然と語られるのが今の時代である。

 教育現場にとって,決して未来は明るいものではない。

 だからこそ,統廃合の積極的な推進によって,人数は増えても負担も増えるという最悪の事態を回避することが求められている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より