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教育管理職のなり手がいなくなっていく事情

 指導主事という行政職も,自分の言葉で話せない部分が多いことはつらい立場ですが,学校の管理職というのはそれを上まわるほど,いえ,想像もできないほどつらい立場だと思います。

 管理職は「やさしい」だけの人にはつとまらないため,研修期間では「厳しさ」を痛感できる訓練が行われます。

 研修内容は守秘義務にあたる可能性もあるため,ここでは書きませんが,「だれでもなれる」わけではないことだけ,記しておきます。「ただごますりが上手」だけで管理職になれるほど,学校現場は甘くないです。

 近年は,教師と子どもの間にトラブルが生じた場合,校長を通り越して教育委員会に直接通報?される傾向にあります。教育委員会は当然内容を照会し,問題の程度に応じて手を入れることがあります。「いじめ」問題では教育委員会の怠慢というかたちで問題視されているため,「問題ありますか?」「たいしたことはないです」「では,事後処理はおまかせします」では終われない厳しさもあるでしょう。

 保護者は校長の上司が教育長であることは知らないかもしれませんが,「上の立場の人たち」に訴える効果はかなりわかっていると思われます。

 教育委員会が校長とツーカーになってしまっている地域ではこれでも無駄なので,議員への訴えというかたちになるのでしょう。

 具体的なこととして,問題を起こすのが常勤の教員ならまだやりやすいのですが,めんどうなのが非常勤講師がトラブルを起こす場合です。

 安い給料で雇っているという負い目もあるためか,「指導」もなかなか徹底できません。

 そもそも教員採用試験に合格できていない人に,指導力を求めること自体,無理があるわけです。

 人材不足のため,問題講師でも,「勤めていただいている」という意識がある場合はなおさらやっかいです。

 トラブルになっても子どもが「大人」である場合は丸く収まるのですが,「大人」でないのは講師だったり保護者だったりするわけで,泥沼化してしまうケースも少なくありません。

 自分の指導力不足を認めず生徒のせいだと思い込んでしまっている場合は本当に手に負えないのです。

 常勤の教員ですらあてにならない学校で,非常勤講師の確保も難しいところは本当にお気の毒です。

 他人事のようで申し訳ありませんが,「自分で教員を選べない管理職」って,給料はそれなりに高いですが企業では「係長」くらいの地位のように思えてきます。

 こんなことを書くと,ただでさえなり手がいない教育管理職を敬遠する「実力者」がますます減ってしまうかもしれませんが,「校長先生を叩く」ことでは,何も解決しないことをご理解いただきたくて,こんな文章を書きました。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より