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起業教育の授業実践モデル ~米ウーバーを題材にして~

 スマホの利用拡大が,他の業種にどれだけのプラス効果があるかの試算をどこかで入手したいが,

 週刊東洋経済1月17日号で紹介されている「タクシー業界を破壊 嵐を呼ぶ米ウーバー」という記事を読むと,既存の業界に打撃を与えるような「優れたビジネスモデル」があることもよくわかる。

 ウーバーは,スマホの専用アプリでタクシーを呼ぶという単純なサービスで,日本ではLINEも類似のサービスを行っている。

 ウーバーが人気を集めている理由として,

→アプリに行き先を入力すれば,運転手の到着時間,料金の目安が示される。

→支払いは登録済みのクレジットカードで自動決済される。

→車種も選べる。

→アプリは世界共通。自国の言語で行き先が指定できる。

→運転手を評価する仕組みを導入。結果がオープンにされている。

 などが紹介されている。

 ITとタクシーの融合は,小売業界や運送業界とITとの関係と同様か,それ以上に,消費者に「利便性」を実感させるものであると感じられる。

 今は「人気のタクシー運転手」にお目にかかることはないが,

 「おもしろい話をしてくれる運転手」

 「元気づけてくれる運転手」

 「占いができる運転手」

 「決して話しかけることはしない運転手」

 「距離と時間によっては,コーヒーをごちそうしてくれる運転手」

 「ショートコントのDVDが鑑賞できる車」

 「マッサージチェアが組み込まれている車」

 など,「特色のある運転手や車」を選ぶことができるようになるかもしれない。

 サービスの質を,タクシー運転手が自ら高める努力をする時代になるかもしれない。

 しかし,ウーバーは,記事のタイトルにもあるように,「破壊者」として見られているようで,世界各国で訴訟なり規制なりが相次いでいるようである。

 米ウーバーの創業者は,他にも起業を行っている人のようで,今後もITと既存の業界を結びつける新業態が誕生するかもしれない。

 「起業教育」というのが日本にも求められるとしたら,「スマホと~」という課題を生徒に与えて,ビジネスモデルを考えさせるという授業実践が考えられるだろう。

 ちょっとした空き時間がある大学生をスマホで検索して,宿題を教えてもらう仕組みなど,子どもの発想ならいくらでもモデルはでてくるだろう。どうしても犯罪を恐れる心配が先に立ってしまうが,セキュリティは自分で何とかする,という「リスク管理教育」とセットにすべきであろう。

 「タクシーとスマホと~」のように,三者を組み合わせるような仕組みもできるかもしれない。

 タクシーは,乗客がいない場合は,「運転手」だけを運んでいる状態であり,効率が悪い。

 走行システムをICT技術で一括管理できれば,運送業界とのコラボも実現できるのではないか。

 実際に,船や飛行機は乗客とともに貨物も運んでいる。

 消費者側では,「タクシー待ち」の時間を減らしたい。タクシー業界も,「流している」時間を減らしたい。

 アプリを提供する会社に手数料を支払わなければならない面もあるが,それでも収益が上がれば,決してマイナスにはならないはずである。

 日本では,ICTのリテラシーのある世代が社会の中心で活躍するとき,リテラシーの不足している「団塊の世代以上の高齢の人々」を顧客としたサービスを転換していかなければならない。

 できたら,高齢者のスマホ利用料金の格安モデルをどんどん提供して,現在での60歳以上の方々のリテラシーを向上させる努力を国にはしてほしい。将来への重要な投資になる可能性がある。
 
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より