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2割の子どもに8割の子どもを操作させる教師

 中学校の教師にとって,「生徒の動かし方の上手・下手」は生命線の一つである。

 たとえば,様々な行事では,それなりの「整列したかたち」をつくる機会が多い。

 そのつくり方の上手・下手は,声の出し方,指示の出し方,教師の立ち位置の3つでほぼ決まる。

 「整列」を甘く見てはならない。それができている学校とそうではない学校の違いは,別の活動や学習面での違いと相関関係があるはずである。

 私はこれまで何度も中学生,高校生,大学生の野球の試合の球審をしたことがあるが,試合前の練習とベンチ前の様子を見ていれば,強いチームかどうかは判断できるが,最もわかりやすいのが試合開始時の整列状態である。

 野球は想像以上に頭を使うスポーツである。頭を使うための「間」があることも特色の一つだが,瞬時の判断で何通りかのうちの1つを選択するという場面も多い。

 まともに真っ直ぐに並べない選手が,複雑な対応をこなせるとは思えない。

 教育現場では,スペースの広さ,活動の種類や目的によって,様々な形態で生徒をまとめて動かす必要のある場面があるが,集団競技を経験している人間は,こういう指導が得意であることが多い。

 このような「直接的な指示で動かす」場面だけではなく,

 教師には「間接的に動かす」力が求められる。

 私が最も醜いと感じる「動かし方」は,自分の意図が通じそうな一部の生徒たちを利用して,そうではない生徒たちを「管理」させようとするものである。

 「意図が通じそうではない生徒」が抱く疎外感を想像できないような人間が学校現場の教師になるべきではない。

 すべての子どもに対して,同じような機会を提供することが教師のつとめである。

 教師の「助け」を必要とする子どももいるが,実際に「助け」を求める子どもだけではなく,「助け」を拒むタイプの子どももいることを忘れてはならない。

 「助け」ないことも,教師にとっては重要な選択肢の1つである。

 教師の「お気に入り」たちに動かされることが屈辱的なことであると感じる子どもは,「見捨て」られている。

 「子どもを見捨てる」という概念が頭にある教師から,「だれも見捨てない」という建前の言葉が出てくるのは,ごくごく自然なことである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より