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センター試験世界史Bの出題ミスはなぜ起きたか?

 読書編では,どのような出題ミスだったのかを書きました

 ここでは,このような出題ミスが起こった原因を想像してみます。

 まず,チェック機能が弱かったことは確かでしょう。

 受験生が指摘しなくても,高校の地歴科の先生や大学の先生が気づいて指摘することになったと思います。

 受験問題の作題過程でよく使われる言葉に,

 「限定がかかっているか」というものがあります。

 選択肢の問題なら,誤答になるはずの選択肢がきちんと排除できているか,本当にそれが誤答であると言い切れるのかを考えるのですが,センター試験のように単純な知識のみをきくような問題では,ここまで考えなくてもわかったはずです。

 私は,「いずれ廃止になるテストだ」という油断があったのではないかと考えます。

 センター試験には,相当のお金がかけられています。

 何重ものチェックがかかっていたはずです。

 でも,事前に気づけなかった。

 「いずれなくなるもの」に精力を傾けるモチベーションを維持するのは困難でしょう。

 「油断」が生まれたのではないか,と考える根拠はそこにあります。

 テーマについて言えば,「暦」に関する問題は,2011年度の世界史B本試験でも扱われていました。

 問題には「リード文」という,実際に解く上では必要のない場合が多いけれど,脈絡のないところから1問1答が次々に出てくるようでは,あまりにも芸がないために,語句に下線部を引っ張って,そこに関する問題を出す,という目的でつくられるものがあります。出題の「テーマ」みたいなものです。

 「リード文」というのは,受験生が初めて読んで,「なるほどそういうことか」と勉強になる,といういい文章になっていると思いますが,センター試験というのは,単純な知識だけを聞いているのが本当に痛い。

 だからこそ,穴埋めのための問題文でしくじってしまったことは,「単なるミス」では片付けられない「学力低下」が忍び寄ってきていることすら想像できてしまうのです。


 なお,今年の問題は,2011年度の第3問のCを学習していた人なら,簡単に解けたのではないでしょうか。

 教学社の過去問研究では,「授時暦は日本(江戸時代)の貞享暦に影響を与えた」というCHECK項目がついていました。これを読んでいた人は,みんな正解できたはずです。

 過去問では,正誤問題で,2つのうちの1つが,授時暦がイスラーム天文学の影響を受けてつくられたことを「正」として判断するものでした。

 ネタ切れも叫ばれるセンター試験ですが,繰り返し出されているのは,「大切な事象」として,学習面で生かしていきたいものです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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