ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 教員をやめたくなったとき,だれに相談しますか? その2 | トップページ | 「脱ゆとり」の成果をはかる前に・・・ »

センター試験世界史Bの出題ミスはなぜ起きたか?

 読書編では,どのような出題ミスだったのかを書きました

 ここでは,このような出題ミスが起こった原因を想像してみます。

 まず,チェック機能が弱かったことは確かでしょう。

 受験生が指摘しなくても,高校の地歴科の先生や大学の先生が気づいて指摘することになったと思います。

 受験問題の作題過程でよく使われる言葉に,

 「限定がかかっているか」というものがあります。

 選択肢の問題なら,誤答になるはずの選択肢がきちんと排除できているか,本当にそれが誤答であると言い切れるのかを考えるのですが,センター試験のように単純な知識のみをきくような問題では,ここまで考えなくてもわかったはずです。

 私は,「いずれ廃止になるテストだ」という油断があったのではないかと考えます。

 センター試験には,相当のお金がかけられています。

 何重ものチェックがかかっていたはずです。

 でも,事前に気づけなかった。

 「いずれなくなるもの」に精力を傾けるモチベーションを維持するのは困難でしょう。

 「油断」が生まれたのではないか,と考える根拠はそこにあります。

 テーマについて言えば,「暦」に関する問題は,2011年度の世界史B本試験でも扱われていました。

 問題には「リード文」という,実際に解く上では必要のない場合が多いけれど,脈絡のないところから1問1答が次々に出てくるようでは,あまりにも芸がないために,語句に下線部を引っ張って,そこに関する問題を出す,という目的でつくられるものがあります。出題の「テーマ」みたいなものです。

 「リード文」というのは,受験生が初めて読んで,「なるほどそういうことか」と勉強になる,といういい文章になっていると思いますが,センター試験というのは,単純な知識だけを聞いているのが本当に痛い。

 だからこそ,穴埋めのための問題文でしくじってしまったことは,「単なるミス」では片付けられない「学力低下」が忍び寄ってきていることすら想像できてしまうのです。


 なお,今年の問題は,2011年度の第3問のCを学習していた人なら,簡単に解けたのではないでしょうか。

 教学社の過去問研究では,「授時暦は日本(江戸時代)の貞享暦に影響を与えた」というCHECK項目がついていました。これを読んでいた人は,みんな正解できたはずです。

 過去問では,正誤問題で,2つのうちの1つが,授時暦がイスラーム天文学の影響を受けてつくられたことを「正」として判断するものでした。

 ネタ切れも叫ばれるセンター試験ですが,繰り返し出されているのは,「大切な事象」として,学習面で生かしていきたいものです。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 教員をやめたくなったとき,だれに相談しますか? その2 | トップページ | 「脱ゆとり」の成果をはかる前に・・・ »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: センター試験世界史Bの出題ミスはなぜ起きたか?:

« 教員をやめたくなったとき,だれに相談しますか? その2 | トップページ | 「脱ゆとり」の成果をはかる前に・・・ »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より