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日本の従来型の教育でIB(国際バカロレア)認定校が価値をおく人間がどれだけ育成できるか

 結論から言えば,「複数の言語を用いた創造的な自己表現」はなかなか難しいかもしれませんが,その他の「人間像」は今までの学校教育で十分に育成できるものだと考えています。

 IBの学習者像とは,

 「探究する人」(INQUIRERS)

 「知識のある人」(KNOWLEDGEABLE)

 「考える人」(THINKERS)

 「コミュニケーションができる人」(COMMUNICATORS)

 「信念をもつ人」(PRINCIPLED)

 「心を開く人」(OPEN-MINDED)

 「思いやりのある人」(CARING)

 「挑戦する人」(RISK-TAKERS)

 「バランスのとれた人」(BALANCED)

 「振り返りができる人」(REFLECTIVE)

 の10項目で,これらの力がある人が,国際的な視野をもち,人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識し,より良い,より平和な世界を築くことに貢献する人間となると考えているようです。

 日本の学校生活の中で,これらのうちのいくつかは,学校行事や部活動のなかで育成されます。

 道徳の時間は自分を見つけることに集中させられるあまり,「心を開く」ゆとりもなくなってしまいますが,道徳の時間で育てようとしている能力ともかなり重なります。

 IBのプログラムが日本の従来型の教育と異なるのは,評価が厳格であることです。

 これを多言語でこなすとなると,ハードルが高いと考える教師や子どもも多いでしょう。

 少なくとも英語が自由に操れないと,厳しいプログラムです。

 英語ではなく,日本語でもあり,という仕組みをとったとしても,教師の側からすると,IBプログラムは指導のためよりむしろ評価のために多大な時間を費やすことになるため,敬遠したくなるプログラムになります。

 これが日本に根づくことは,今のところ考えにくいです。

 「観点別学習状況の評価」すら怪しい現状で,IBプログラムの拡大は困難を極めることが予想されます。

 IBプログラムの拡大よりも,従来の日本型教育を生かしたIB風プログラムを開発し,それが国際的に承認されるよう努力する方が,より「RISK-TAKERS」らしい道のような気がします。

 今のまま,闇雲にIBプログラムを拡大することは,日本人が嫌うタイプの「RISK-TAKERS」でしょう。

 日本に欧米などと同じ「RISK」という概念が根づくまでには,まだ時間がかかりそうです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より