ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「学び合い」が信頼していない人間 | トップページ | 驚きのデータ・・・97分,38億円 »

汚職と権力闘争が民主化運動の「火付け役」になるか?

 某国では「反腐敗」をテーマに掲げた権力基盤強化の動きが進んでいるようだが,

 その国のメディアが汚職に関するニュースを「体内の病原体は除去しなければならない」という趣旨のたとえを使って報道していることを知った。

 このたとえは,日本が明治期に近代国家を形成しようとするとき,国家を人体にたとえて,国民一人一人が細胞のような働きをするという「国家有機体説」に則ったような説明に似ている。

 明治期には衛生概念を教えることにも使われ,日本人の「公共」の観念は,衛生概念の習得とともに養われていったという考え方もあるらしい。

 国家を人体にたとえるタイプの「国家有機体説」は,ヨーロッパでは前近代的なものだが,明治時代の人々にはしっくりくるものだったらしい。

 日本語には,「一体化」「身につける」「体で覚える」といった表現があり,心(精神)と体を分離させたヨーロッパ風の人間観から見れば,やや時代錯誤的な捉え方が今でも息づいている。
 
 (なお,私自身は心と体を「一体」として捉える日本的な捉え方も,真理を反映しているという見解である)

 こうしたヨーロッパでの前近代的な「国家有機体説」で現在の某国を表現すれば,頭部は党の最高指導部ということになろう。

 そして,「癌は取り除かなければ人体を滅ぼす」という観念がそっくりそのまま国家に適用されることになる。

 犯罪者が法に基づいて処分を受けることは当然だが,こういうたとえは,「異物の処理」という形で人権が侵害される側面もあるから,注意しなければならない。

 日本が台湾や朝鮮を植民地にしたときの「国民化政策」にも,日本風の国家有機体説的理解が影響していたと考えることができる。

 さて,某国の今後の動きであるが,明治期の日本の国家有機体説が,「自由民権運動」や「大正デモクラシー」などのかたちで国民の権利意識を高める素地をもっていたとしたら,某国の国民の国家像にも影響を与え,民主化を求める動きの「きっかけ」になる可能性を持つと考えることもできよう。

 汚職をめぐる報道上の表現の一つが,国家を大きく揺るがすことになる,

 というのはあり得ないことではないと私は思う。

 内部の権力闘争以上に恐るべきことが何か,某国政府は十分にわかっているだろうが・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« 「学び合い」が信頼していない人間 | トップページ | 驚きのデータ・・・97分,38億円 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

歴史学習」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 汚職と権力闘争が民主化運動の「火付け役」になるか?:

« 「学び合い」が信頼していない人間 | トップページ | 驚きのデータ・・・97分,38億円 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より