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「卑怯者」への憤りが収まらない

 人生のなかでも最も意味のない2日間を地方で過ごした後には,怒濤のような仕事が待っていた。中学校3年生の担任なので,進路相談も本格化してくる。

 仕事に集中したいのだが,時間がいくらたっても,

 「背中から斬りつける」ような卑怯者の発言や,

 その発言時に見せつけられた醜悪な笑みや,

 へらへらしながらその発言を聞いていたシンポジウムの司会者への

 憤りが収まらず,社会科教育の学会の質の低さの原因がどこにあるのかを自校の研究の部会でも話題にしていた。

 純日本風の悪習なのであろうが,集まっていた多くの大学の教員たちは,面と向かっては別の教員を批判することはない。しかし陰口はやりたい放題である。

 そういう意味では小中学校の教員と変わりはない。

 いじめを繰り返す子どもと変わりはしない。

 「師匠と弟子」の関係があったりして,儒教の浸透したままの社会であるから,弟子は師匠に何も言えないのも同じである。

 どこかの研究者が進歩や前進することが,自分にはプラスにならないと考えるような「足の引っ張り合いこそが使命」の世界の空気には耐えられない。

 批判できない相手の悪口を言い合うようなシンポジウムが,

 「社会科教育」という名をつけた学会で行われていることの意味を「市民」はどう考えるのだろうか。

 陰口奨励学会で扱われていたテーマが,今となっては笑いを誘うものにしか感じられない。

 どうして「社会科」がここまで堕落しなければならなかったのか。

 日本の未来は危険である。

 当然のように,かつての日本人が誇りに「していたとされる」価値観

 ・・・・「武士道精神」などが再要請されるような時代になるだろう。

 ただでさえ,大学の人文系の学部は「切り捨て」の対象になっていく時代である。

 自分たちで自分たちの首を絞めているという自覚を,大学教員たちは

 もっているのだろうか。

 だれかの台詞を思い出した。

 「小学校までは,みんな社会科が好きだった。受験勉強のために,中学校,高校の社会科は嫌いになった。だから,大学でもいい社会科の教員は育てられない」

 そのような言い訳が通ってしまいような大学は,消えてもらった方がよいのではないか。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より