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放送大学と東進ハイスクールの授業を比較してみよう

 放送大学の講師に,「指導力」を要求する人はいないだろう。

 ラーニング・ピラミッドという,教師なら一度は見たことがあるはずの

 「学習効果」別の学び方を示すものがある。

 1 講義を聞く(Lecture):5%

 2 読む(Reading):10%

 3 音声化・視覚化(Audio-Visual):20%

 4 実演する(Demonstration):30%

 5 討論する(Discussion Group):50%

 6 体験する(Practice by doing):75%

 7 他者に教える(Teaching others):90%
 
 教育の世界では「常識」となっているものである。ここで,定着率を示す数字に科学的な根拠があるかないかを議論しても意味はない。教師ならば経験でこれらの序列の意味を感じ取ることができるだろう。

 指導力の高い教師は,学習内容に応じて様々な学び方を用意し,目標の達成率を向上させようと努力している。

 教育現場をご存じない方でも,「学び合い」によって効果が出ている児童生徒がいる理由は,これを見ればなるほどと思われるだろう。 
 
 いくら教師の話し方が上手でも,「伝えてもらう」だけでは,ある程度の時間が経つと忘れてしまうのが人間なのである。

 だから,話し方が上手とか下手だけで指導力が高いか低いかを問題にするのはごくごく低レベルの話である。

 放送大学の授業と,YouTubeで視聴できる東進ハイスクールの授業を比較してみたりするだけで,「かなり違うな」という実感は得られるだろうが,「内容の理解」というだけの話だと,大差はない。

 もし教師の方で,「俺は教え方が上手いつもりだが,生徒の成績がなかなか伸びない」と悩んでいらっしゃるとしたら,

 5%の部分に全力をつぎ込むことのむなしさを自覚するところからスタートしてみたらどうだろうか。

 生徒に何をいつどれだけ読ませているか。

 映像や音声で伝える工夫をどの場面で行っているか。

 生徒が実際に演じたり発表したりする場面をどれくらい用意しているか。

 どのようなテーマで,生徒に討論させているか。そのための準備にどれくらいかけているか。

 実体験ができるチャンスはどこにあるか。そのことと教室での学習のつながりを上手につくるカリキュラムをつくっているか。

 生徒が他の生徒に教える場面をいつどのような内容をもとに用意しているか。

 「授業の工夫とは何か」と聞かれたとき,

 「教師自身の技」ばかりに目が行ってしまうと,子どもの学力向上は置き去りになってしまう可能性がある。

 教師の指導力とは,子どもにどのような学習をさせているかで判断できる面もあることを忘れてはならない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より