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お別れのご挨拶

 せっかく発表の機会をいただいた学会で,

 声をかけたいただいた先生の温厚なオーラで私の怒りの80%くらいは抑えられたのですが,

 とにかく「社会科教育」を語ってほしくない人たちのムードには耐えられませんでした。

 人口減少社会で最も大切だと感じるのは,「大人への教育」です。

 「大人自身の自覚の問題」です。

 荒れた学校を建て直したとき,子どもを利用するかたちになってしまったのですが,最も力を入れたのは「大人=教師の意識改革」でした。

 「子どもに~ができるようにさせる」と教師が言う前に,「お前がやれ」というだけのことで,学校は180度変わりました。
  
 無責任な大人たちが,無垢な子どもたちを「どんな存在にしたてあげようか」などと勝手に考えている醜悪な雰囲気が私は大嫌いで,特に教師の偽善的な姿に辟易とさせられています。

 子どもを変えたいと思うなら,自分が変わらなければなりません。

 グローバル人材をつくりたいというなら,まず自分がどうしたらそうなれるのか考え,そして実際にそうなりなさい。

 知識基盤社会を築きたいというなら,まず自分が知識を自分の力で獲得できるような強い意思をもちなさい,と言いたい。

  「どんなに年をとっても,いつでも人間は成長できる」という信念を子どもにもたせるには,60近くの人間が大改革・大成長を遂げる過程を子どもに見せるのが一番の教育です。

 研究会や発表会を開くと,特に若い教師の中に,何か「使えそうなものを持ち帰りたい」などという姑息な人間がいるものですが,果実だけをとって食べておいしい,といったところで,自分には何の力もつきません。

 どうやって土をつくったか,どのように太陽があたっていたのか,などという「過程」を無視した態度をとってしまうような人間に, 「人を育てる」ことは期待できないのです。

 社会科教師が生まれる直前で,あまりにも安易な態度をもった人間を「改造」する最後のチャンスは大学にあるのです。

 そこが機能することを切に願います。 

 もうあのような学会で,私にはお役に立てる力は全くないことがわかりましたので,残念ですが私の後輩たちの面倒だけに集中したいと思います。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より