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指導力不足教員は全教員でサポートを

 「指導力不足」の自覚がある指導力不足教員と,そうではない

 指導力不足教員がいる。

 前者は孤立させないように,管理職をはじめとした多くの

 教員のサポートによって最悪の結果を招かないように

 注意しなければならない。
 
 「最悪の結果」はそれぞれのご想像にお任せしたい。

 問題は,後者のケースである。

 自覚のない指導力不足教員に,「あなたの指導力には課題がある」

 と言っても無駄である。

 行政の立場ではそれを言わなければならないが,

 難しいのは管理職や同僚の場合である。

 私の場合は「何がどのように課題であるか」を具体的に示す

 コンピテンシーモデルを持っているが,一般的な管理職は

 具体的な評価規準を示すことはない。

 だから,具体的な対処方法は,とにかく「最低レベル」から

 少しでも引き上げるように努力することである。

 「研究授業をしてもらって,9褒めて1の課題を指摘する」

 ような取組みを,年間計画のなかで「張り巡らせなければ」

 ならない。

 ところが残念ながら,事態が悪化してしまう場合も

 少なくない。

 少しでも「俺は指導力不足教員の目で見られている」という

 実感をわかせてはならない。

 指導力不足教員の多くは,コミュニケーション能力に課題があり,

 人を信じることを忘れてしまっている人もいる。

 会話には細心の注意を必要とする。

 少しでも「攻撃された」という実感をもたせると,

 「過剰な防衛」に出る場合がある。その「防衛」の方法の多くは

 「攻撃」であるから,被害は教師や子どもに及ぶ。

 他人の誹謗中傷には何の抵抗もないから,過去のことも

 含めて,次から次へと「攻撃」を繰り返すのが

 無自覚型の指導力不足教員の始末に負えない特徴である。

 まわりの教師に余裕がなければ,当然のように「孤立」する。

 その「孤立」が,根をさらに深くはってしまう原因になり,

 やがて「手遅れ」となる。

 「自分は精神疾患を抱えているのではないか」という自覚は

 あり,やたらと詳しく知識を蓄えて,「俺はそうではない」

 と自分に言い聞かせるようになると,素人が対処できる範囲を

 超えてくる。

 問題行動を繰り返す子どもと,無自覚型指導力不足教員への

 対応の「大変さ」は,比較にならないほど後者が勝る。

 だから異動に際してもかなりの配慮が行われるから,今そこに

 対象がいる場合には,自分たちの力量が高いことを前提に,

 力を合わせて対応してもらうことを願うしかない。

 このような教員については,「ふれないでおく」ことが最悪の対処法である。

 先日の学会で,大学にもこのような教員がいることを知って,驚いた次第である。しかし,大学には対処する方法はないだろう。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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