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学習指導要領に示された目標や内容に準拠した教育を行わなければならない理由

 なぜ学校の教師は,学習指導要領に示された目標や内容に準拠した教育を行わなければならないのか。

 法的な理由等はここではふれずに,高校や大学の入試に関する話をしておきたい。

 公立高校を受験する場合,「調査書」には中学校での成績が記載される。

 この成績とは,学習指導要領に示された目標に準拠した評価・評定のことである。

 学習指導要領に示された目標とは無関係の指導を行うと,そもそも評価すらできないことになる。

 入試問題は,学習指導要領に示された目標や内容に則して出題される。

 教科書は検定でチェックを受けており,その内容を逸脱した入試問題は出されないことになっている。

 教育公務員なら知らないはずはないことである。

 しかし残念ながら,学習指導要領に示された目標や内容をよく理解しないまま,ただ教科書だけを使って授業をしている教師が多いのが現実である。それでも受験には対応できてしまうからだ。

 では,評価はどうしているのか。つじつまが一応合うようにしているだけである。

 

 学習指導要領には,どのような「目標」が示されているのか。

 中学校の社会科の場合,こうである。

>広い視野に立って,社会に対する関心を高め,諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め,公民としての基礎的教養を培い,国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

 「広い視野に立って」という文言がある理由はおわかりになるだろうか。

 社会科では,そもそも多面性をもつ社会的事象という学習対象を,特定の政党の理想をもとに一面的に語ることができないようになっている。

 指導力不足教員か,特定の考えを押しつけようとしている教員かの判断は,そもそも教員自身が「広い視野に立って」いるか,また,授業で使用する「諸資料」が適切かどうかで判断することができる。

 いつも朝日新聞の記事だけを教材にするという教師は課題があると言わざるを得ない。

 残念ながら,すべての中学生が日本の国土や歴史に対する理解を深めているとは言えない現状にあるが,究極的には「平和で民主的な国家・社会の形成者」としての基礎を養うことが目標になっている。

 言い方をかえれば,社会科はこういう人間をつくろうとしている教科である。

 なお,社会科の目標については,「愛情を深める」という文言が議論になっている。

 学習を通して,結果として深まるのは「愛情」だけではないが,「愛情」も深めていくのは悪いことではないと考えている。

 「理解と愛情」だけを深めろ,と言っているわけではないことに注意が必要である。

 国民の多くは(もちろん中学生も含めて),社会科がこういう目標のもとで指導されていることをご存じなかったかもしれない。

 あるいは,自分を教えてくれた社会科の教師が,こういう目標のもとで指導をしていたとは思えない人が多いかも知れない。

 妄言が生まれないように,ぜひ知っておいてほしいことがらである。 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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