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教育の世界の真実

 他人になりすまして自分の匿名ブログに自分で自分をほめるコメントを入れることができるように,ブログのなかでいかに「本当のこと」を書いても,それは「本当らしいこと」にしかすぎない。なりすましコメントのように,「どう見ても嘘っぽい」ものがあるのはご愛嬌である。

 ときどき「教え子」の言葉を書いている人がいるが,それが「本心の言葉」であるかどうかはわからない。日本の教育では,教師に対する敬意を育てている。「お世辞」は日本の文化であり,「社交辞令」なのである。

 読んでいる人が「本当かどうか」を気にすることなく,その内容に引き込まれるような文章を書きたいが,そんな文章が書けるのなら,何も匿名ブログなどで気を紛らわせる必要はないだろう。

 教育の真実とは何か。

 それは,現場にしか存在しないと断言してよい。

 教師の指導力の問題は,現場に行けば手に取るようにわかる。

 林竹二にしろ,斎藤喜博にしろ,実践記録を読んで,その授業の素晴らしさに感動するのは自由だが,きっと現場にいれば,もっとたくさんの感動すること,気になること,疑問になること,なるほどと思うことなどに満たされることになるはずである。

 それが授業というものであり,教育というものである。

 その先生が,本当に心から意味があると思っていることを,

 熱意を込めて,

 上手に,わかりやすく子どもに語りかけることができれば,

 親も子どももすぐに先生が好きになる。

 子どもが自分から人に話したくてしかたがなくなるような経験をさせたり,

 発見をさせたり,知識を習得させたりすれば,子どもの学力はみるみる

 向上していく。

 これぞ理想の教師,とよべる先生に出会ったことがある人なら,わかるはずである。

 指導力の前に,教師になるために必要なものは,

 「子どものために本当に意味があるものとは何か」を探り続けようとする姿勢である。

 たった10年前に改訂したばかりの学習指導要領を,趣旨ごとひっくり返そうとする態度は,教育に対する冒涜であるとは言えないか。

 野党が主張するようなことを,安定感を増した与党が口にするというのは,

 千年単位で日本の歴史をながめたとき,本当の「終わりの始まり」のように思えてならない。

 教育現場の何がどうだめなのか,はっきりとした主張がほしい。

 もし変えるのなら,教員養成や教員採用のあり方自体について徹底的な検討をしてほしい。

 大学入試の質なり,教員採用試験の質を,先に変えるべきだろう。

 教育現場に向かう人間の質を高めない限り,学習指導要領をどういじったところで,何も変わらないと思う。

 ある外資系企業の面接試験は,8時間以上に及ぶと耳にした。

 よい人材が選ばれるわけである。

 教育の世界の真実を知りたければ,現場に行けばよい。

 全国学力調査については,「事前指導」と称して,過去の問題のコピーで練習させる行為が広がっている。

 それが真実である。日本人は,初めて出くわすような問題には弱いが,繰り返しやらされる問題には強い。

 その「法則」をよく知った人間は,学力調査の結果を向上させるために,「練習」させるのである。

 子どもを学校に通わせている親ならわかる何でもない情報で,一般の人が知らないことはいくらでもある。

 文部科学省が配布している道徳の本を,児童生徒に渡していない学級が全国にどのくらいあるか。

 調査は無意味である。調査と同時に学校は配布してしまう。このような調査は,学校を通すべきではない。

 保護者に直接,聞くべきである。なぜそれをしないかといえば,

 「真実を知りたくないから」である。

 教育の世界の真実は,こうして永遠に隠され続けるのだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より