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教育の世界の常識を変える力~日本風英語の教育~

 英語教育の改善など,何十年も前から繰り返されているにもかかわらず,実効性のある「改革」はできなかった。

 多くの人は「テストのせい」という信仰をもっているが,実は,指導法を変えるだけで,いや,もっとわかりやすく言ってしまうと,教師が変わるだけで,その「テスト」の成績もよくなることは多くの人が経験していることである。

 小学校での英語の教科化を前に,小中連携は進めていかなければならない。

 しかし,この成功の秘訣は,小学校の教師の指導力の前に,まずは中学校での英語教育の質が問われなければならない。

 最近の研究に関する記事から,これからの英語教育が変わっていくかもしれないという期待をもつようになった。

 その研究とは,

>言語の習得は一定の順序に従って進む(音を聞き取る→単語の意味を理解する→複数の単語の連なりがわかる)と考えられてきたが,最近の実験では,最初からほぼすべての機能が同時進行で発達することがわかってきた

 とのことである。

 さらに,スピーカー音では言語能力の発達は促されないという結果もあるようだ。

 親の語りかけが,その子どもの言語能力の発達を左右する。

 しかも,その効果がある時期は限られている。

 日本ではいつも話題になる,経済的にゆとりがある家庭の子どもほど学力が高い,という話に説得力を持たせる仮説になっている。
 
 パチンコをしている間に猛烈な暑さの車内で子どもを死なせてしまうような親がいる家庭では,できない教育があるのだ。

 他者との関わりが,言語,認知,感情の発達の入り口となるソーシャルゲーティング仮説は,それが正しいことを前提として,子育てに生かしてほしいと願ってやまない。

 日本には,「三つ子の魂百まで」ということわざというより,教訓がある。

 ブログを見渡してみれば,他人の人格を汚すようなことを堂々と書き散らせる人がいるが,そういう人のなかには,なぜか自分の生い立ちまで公開している人もいる。これは免罪符のつもりだろうか。気の毒に思えるが,他人に向かって堂々と「バカ」と書き散らしている自分の子どもの姿を親はのぞんでいるだろうか。本人より親が気の毒になる。

 話がそれたが,言語の習得で,曖昧母音や聞き慣れない子音など,「正確に発音したり聞き取ったりすること」がそもそも困難な部分にこれからも労力を費やし続けるべきか,それとも同音異義語が多い日本語のように,誤解も生まれるかもしれないが,文脈から判断してもらえる程度の発音でよしとする,「日本風英語」の開発を進めた方がよいのか,発達や能力習得に関する心理学などの科学の成果をぜひとも教育現場に導入できるようにしていただきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より