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教育者はなぜ「統率力」という言葉を使わないか

 私の3389件の記事の中で,「統率力」という言葉を用いたのは5回だけでした。

 そのうちの1件はゴレンジャーの話,1件は起業に関する話,あとの3件はおかしな指導に関する批評の記事で登場しています。

 なぜ教育に携わっている人間の間で「統率力」という言葉が使われないのでしょうか。

 最大の理由は言語に関する繊細な感覚に由来するものだと思われますが,もう一つはその語感から導かれるリーダー像が時代遅れのものだからでしょう。

 「リーダーに求められる資質」については多くの人が個人的見解をもっているでしょうが,

 リーダー自身が「私には統率力がある」とは決して言わないでしょうし,

 「私の統率力を示す事例がこれだ」なんていう話もしないでしょう。

 「統率されていた人たち」が言うのなら別として。

 そうです。

 お気づきかと思いますが,「統率する人」がいれば,「統率される人」がいるのです。

 この「統率される」という状態が,いかにも教育の世界の言葉にはなじまないのです。

 あえてリーダーの資質として「統率力」を挙げている人もいますが,その解説を読むと,「丁寧なコミュニケーションの結果として導かれるもの」とされています。

 リーダーとは,部下たちに奉仕する存在である,なんていう名言を残したのはだれだったでしょうか。

 「教師には統率力が必要だ」などというのは,戦時中ならともかく,今の時代にはそぐわない言い方です。

 これが部活動の主将レベルとか顧問レベルの話になっていくと,使えなくもないかなと思うのは大人の気まぐれでしょうか。

 ちなみに,合唱の練習中,指揮者の生徒に他の生徒が注目できなかった場面を見たことは,荒れた学校にいた期間を含む20年間で,一度もありません。

 教育は,人間の自己教育力を育てる営みです。

 いつまでも他人に「統率される存在」であってはなりません。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より