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「よい授業」を受けたことがない人の不幸

 授業評価の基本は,子どもがその時間の目標をどれだけ達成できたかである。

 教師の話が上手であったかどうかではない。

 話の内容や話し方,その教師の魅力で「よい授業」が定義されてしまうのであれば,

 それは「授業をする前から決まってしまっている」ことになる。

 授業を教師の視点からしか見ることができない人間には,

 逆立ちしても「学び合い」の意味はわからないだろう。

 「学び合い」のどこが問題なのかも指摘できないだろう。

 「よい授業」を分析するときの視野狭窄がどこから生まれるかと言えば,

 「授業参観」「研究授業」を行うとき,どこに参観者が立つかを考えればよくわかる。

 私は教育実習生の授業を参観するときは,必ず教室の前方の隅にいる。

 子どもの表情を見るためである。

 授業を教室の後ろから見ると,教師の表情は見えるが,

 子どもの表情は見えない。それでは,子どもの動きや理解度がわからない。

 こういう単純なことがわからない人が,教育研究の場にはまだたくさんいる。

 「よい授業」をどこから見たいか。

 教室の後ろから見たいと思うような人は,「子ども」レベルである。

 そういうのを「お客さん」という。

 教師の中には,参観者が教室に入るとき,

 「お客さんが来た」という言い方をする人がいる。

 参観者をバカにした言い方である。「子ども」と同じ場所にいろ,ということだから。

 教師として,「よい授業」を見たいと思えば,それは「教師の目」で見える

 教室の前から見るべきである。

 「よい授業」・・・子どもの能力を最大限に引き出したと言える授業をしたことがある教師は,子どもたちの目を見てものを言う準備をする・・・はずである。

 そもそも「よい授業」をした経験はおろか,受けた経験もない人には起こりえない発想かもしれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より