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校長への恨み節を読んでわかること

 教員採用が氷河期とよばれていたころに採用された私たちは,
 
 「いずれ全員が管理職候補となる」と言われていたが,それが誇張ではないことが実感できる時期に入った。

 大量採用の時期の教員には,いずれ「校長にならなければならない」というプレッシャーは無縁であったことだろう。

 校長になって最も心を痛めるのは「教員からの恨み」である。

 「一生懸命働いたのに,どうしてこんなところの小学校に異動させたのか?」

 「どうしてこんな荒れた中学校に異動させたのか?」

 「どうして私が不登校児ばかりを集めたチャレンジ校の教員にならなければならないのか?」

 「どうしてこんな指導力不足教員を私の学年で引き受けなければならないのか?」

 「なぜこんな教員にうちの子どもの担任をやらせるのか?すぐに担任を変えろ!」

 そういう「怨恨」が襲ってくるのは,人事部の人間でも,指導力不足教員本人でもない。

 その学校の校長である。

 異動してきたばかりの校長に「怨恨」が降ってくる場合もある。

 人の心が読める人がもし校長になったら,自分の心は1日ともたないだろう。

 たった数人の校長の「部下」になった経験しかないのに,「校長の多くはこうだ」と決めてつけている人間がいる。

 自分が「おかしい」と主張していることを,恥ずかしげもなく,堂々と自分ができてしまうような人間である。

 校長退職者が早く亡くなることを揶揄しているが,その原因が自分のような人間にあるとは,想像もできないようだ。

 こういう人間たちを相手にしなければならない校長という職は,

 心が弱い人間には決してつとまらない。

 自分の主張を教育委員会が聞いてくれるわけでもない。

 命令は教育長からどんどんふってくる。

 これからの時代の管理職は,ますます「仲間内で慰め合うこと」しかできない存在になっていくかもしれない。

 子どもの将来のことを本当の意味で真剣に考え抜ける存在が校長である,

 と堂々と言えない学校に,未来はあるだろうか。

 教師は変わらなければならない。

 校長を変える力を持っているのはだれか。

 校長しかできない仕事をつくれるのはだれか。

 日本の教育を変えることができるのはだれか。

 現場の教師がその可能性に絶望したとき,公的な教育の意義は消える。

 教師は,変わらなければならない。

 まず第一歩は,信念をもとに「校長を説得できる」人間になることである。

 100の失敗にめげずに,1の成功をめざして説得を続けることである。

 その「1の成功」が,やがて百万人のための成功になってかえってくる日をめざして。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より