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すぐ「感動する」人の注意点

 2013年3月25日の記事の再掲です。

 タイトルは,「道徳の授業の原動力は感動?」

 でした。

 道徳教育を軌道に乗せるために,

 留意すべきことを書きました。

******************


 道徳が教科になれば,

 子どもたちが「副教材」を購入しなくてすむ。

 「検定教科書」が誕生する。

 そこには,かつての偉人から

 有名スポーツ選手,

 ハンディキャップを克服した人などが

 登場し,

 子どもたちの「感動」をよびおこす教材が

 おさめられるはずである。

 道徳の授業における「感動」が,

 子どもに「実践する気」をおこさせ,

 実践力をつけさせていく。

 ・・・・・・

 というシナリオがなんとなく思い浮かぶだろう。

 ここでネックになるのは,

 たよりない教師の存在である。

 教科書を使う授業というのは,

 教師の指導力が如実にあらわれる。

 教材に登場した人たちの苦労は子どもたちに伝わるが,

 教師の苦労は,伝わらない。

 道徳の教材づくりは,

 教師が本当に「苦労」してつくり出すものである。

 教科書ができてしまうと,

 それだけで教材研究をしなくなる教師が

 大量に生まれてしまうだろう。

 道徳の教科書の「指導書」を読む教師なら,

 まだまともか,というくらいの話である。

 教育の原動力は,

 教師たちが苦心の末に生み出す,

 子どもたちにとって最良の
 
 「教材」である。

 道徳の授業をしたことがない・・・・つまり,

 担任をもったことがない人間が,

 道徳を揶揄する・・・・

 これこそが,道徳教育の「成果」である。

 

 「感動」は原動力になっても,

 推進力として維持することは難しい。

 教育の推進力は,教師の「苦労」「苦心」である。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より