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日本語がわからないALTと英語がわからない日本の教師のTT

 ALTというのは,英語の授業で英語を話す指導助手,

 TTとはティームティーチングのことです。

 『英会話不要論』(行方昭夫著,文春文庫)でも

 ふれられていますが,コミュニケーションが

 十分にできていない2人の「先生」に,

 コミュニケーション能力を高める指導が

 できるのは,疑問が残るところです。

 とりあえずALTは自分の役割を

 「生の英語を聞かせること」

 「生の英語を母国語とする人と

 話す機会を設けること」などと

 把握しているので,よほどヘンな人で

 なければ自分の役割はそれなりに

 果たしてくれるのです。

 問題は,授業を担当しているその学校の

 教師にある。

 その教師は,自分の役割が何だと

 思って授業に臨んでいるのでしょうか。

 コミュニケーション能力を高めようと

 している子どもの目の前で,大人二人が

 コミュニケーションが成立していないことを

 見せつけてしまうことほど,教育的に

 逆効果なものはありません。

 英語教育の迷走はしばらく続きそうですが,

 教師はなぜ自分がその姿をしているのか,

 自分が生徒だったときのことを思い出せば

 納得がいくかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より