親と子に苦しめられるのが教師の仕事
いつ頃からか,子どもの指導に親も「参画」させようとすることの方が,
子どもを立ち直らせることよりも何倍もの労力を必要とするようになった。
「親より子どもの方がまし」であるケースが増えてきている。
「親抜き指導」の方がどれだけ楽か,わからない。
しかし,教師の仕事は,「子どもだけ」に限るわけではない。
家庭教育の意味についても学校で教えなければならない時代になっている。
子どもだけでなく,どのような親も「見捨ててはならない」のが教師の使命である。
これは,個人的な決意とかそういうレベルのものではなく,
「教師としての使命」である。
本来であれば,免許を取得するときにその「使命感」を試したいくらいであるが,
現実的には任用時に「使命感の有無」を確認するしかない。
中学校では子どもとその親とは3年間のつきあいである。
兄弟姉妹がいれば,もう少しつきあいは長くなる。
教師は親からどのくらいの時間があれば信頼を得られるのか。
1回の電話で不信感100%から信頼感100%に変わる親もいるが,
本当に心からの信頼関係を得るには,最低でも5年はかかるのが
力不足である私自身の実感である。
つまり,在学中に「親から信頼される教師」になるのはほとんど無理に等しい。
それでも,義務教育にたずさわっている教師は,
どのような子も・・・つまり,学習が苦手とかそういうレベルの子だけではなく,
いじめや犯罪に手を染める子どもも,その親も,見捨ててはならないのである。
機械的な規定をつくり,「他の生徒に迷惑がかかるから」という理由で
いくらでも生徒を切り捨てられる高校の教師には,こういう「使命感」はいらない。
そのせいだろうか,高校の教師を志望する大学生が多いのは,うなずけなくもない。
小中学校の教師とは,親と子どもに苦しめられるのが仕事だと思ってよい。
もちろんそれしかなくて教師が続けられるほど強い人間はいないだろうが。
私のブログには,「教員 辞める」という検索語で入ってくる人がときどきいる。
教育への覚悟がなくて「公務員」という「安定した職業」に就職してしまった公立学校の教員ほど,始末に困るものはこの世にない。
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