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内田樹による「東大の評価」~それはひがみか?強力な自虐か?

 大学教育は・・・特に独立行政法人となった,国立大学は・・・・

 今,「文部科学省附属大学」になろうとしています。

 その「最優等生」の定義もさまざまあるでしょうが,

 一般的な国民が思い浮かべられるのは「東京大学」でしょう。

 その東大に関する内田樹風の嫌味が,以下のようなものです。

>たしかに東大は「他の誰かがルールを決めてしまったゲーム

 に後から参加して,そこで高いスコアを取る」ための知的技術

 の教育機関としてはすぐれた戦績を残してきた。けれども

 「誰もそこでゲームができると思っていなかったフィールド

 でゲームを始める」タイプの知性を生み出すことについては

 ほとんど見るべき成果を残していない。

 (『内田樹の市民大学講座』朝日新聞出版より)

 「前者すらできない大学はどうなるのか」というより,

 「後者ができるからどうなるか」はだれにもわからない

 わけですが,もともと引用した箇所は,「世界標準」を追い

 求めようとする人間を批判しているコラムの一部ですから,

 本当に言いたいことは別にあると考える必要はあります。

 秋入学という「世界標準」を考え出した東大に,他大学が

 「迷惑な話だ」と本音で思っていることは,別に大学関係者

 ではなくてもわかります。

 グローバル化に「順応しよう」という意識ではなく,

 グローバル化の「新しい波をつくろう」という意識をもって

 ほしいのは,ほかでもない,大学という「知の頂点」にある

 教育・研究機関です。

 できるだけはやく,「省の附属物」の地位から抜け出て

 ほしいと思います。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より