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学校の「体育」の授業が大きく変わる?

 武道にダンスと,体育には「新顔」が登場している。

 体育の教師の実技に関する評価は,本当に難しいものだと思う。

 ある生徒がAで別の生徒がBになる,その線引きはどこでできるのか。

 分かりやすい話が,誰が見ても優れている者だけをAにするのが

 当然なのだが,今の評価ではAはごろごろいる。

 Bは「おおむね満足」のレベルなのに,「どちらかというと不得意そう」

 な子どもの評価はBになる。

 さて,本題は,体育の実技の授業はどうあるべきか,

 という話である。

 集団競技や球技が大好きな私にとって,水泳や器械体操の時間は

 本当につまらなかった。

 ここに,ダンスなどが入ってきたら,学校が嫌いになるくらいだと

 思っていた。

 ところが,今の小中学生の多くは,ダンスに何の抵抗感もない。

 アニメやアイドルの踊りに慣れたせいからか,自然に体が動くだけ

 でなく,複雑な振り付けをすぐに体得してしまう。

 すばらしい技能である。

 とても,経験したことがない体育会系の体育教師には,

 ダンス指導もつらいところではないかと思ってしまう。

 ある国では,音楽が耳に入ると勝手に体が動き出し,踊り出してしまう

 人が多い。日本もそういう国の文化を吸収していくのかもしれない。

 グローバル化が進むことで,単純に言って,学ぶ対象が非常に

 多様化する。種類も量も増えていく。

 これらをすべて,学校が引き受けることは不可能である。

 かといって,選択制にしてしまっては,一人の子どもの視野もせまく

 なるおそれがある。

 運動に関しては,様々なスポーツについて,バーチャルで

 身体運用を見させて(体験させて),それぞれの動きのコツなどを

 習得させるようなICT関連機器やソフトが登場してくるのを待ちたい。

 自分の顔がはめ込まれ,似たような身長の人が動き回る様子を,

 各生徒が見て,自分が動いているかのように感じながら,「体験」

 する。

 英語教育にしろ,書道にしろ,このようなバーチャルな体験が

 すぐにできるのがICTのよさである。

 総合的な学習の時間が,本当に総合的な学習になっているのか

 どうか,そして本当に子どもたいが主体的に学んでいるのかどうか,

 改めて見直してみたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より