子どもを「見捨てない」とは,「授業内容がわかっていることをその都度確認する」こととは違う
理論にはなっていない教育論や教育方法には,誤解がつきまとう。
授業内容を100%理解させることが「子どもを見捨てない」ことではない。
もし「授業内容がわかっているかどうかを確認し,
わかっていない子どもにはわかるまで教えること」が
「子どもを見捨てないこと」だと定義すると,それは授業時間内では
不可能であることになる。
だから「教え合い」という発想が生まれてきたのだろうが,
このような考え方はスタートラインから間違っているわけである。
あるいは,「全員に理解させる」という前提だから,
授業で教えるレベルが現在の小学校のような内容に
とどまってしまう。
長い歴史のある日本の,小学校6年生の教科書と,
1776年に独立したアメリカ合衆国の小学生の歴史の教科書を
比べてみるとよい。
同じことを一斉のかたちであれ,グループ別のかたちであれ,
学ぶ場が与えられていることが,「見捨てられていない」ことである。
中学校段階になると,「ブロック経済に移行した理由」を説明できる
生徒が100%になるとは限らない。
しかし,「ブロック」するものが何であるかを理解させることは可能
である。説明を十分に達成できないと思われる子どもはわかって
いるから,説明の前提となる内容のうち,その子どもなら答えられそう
だと思う内容を発表させるなどして,授業は進んでいく。
理解できたり,理解したことを説明できたりするレベルは,
生徒によって異なる。それぞれのレベルで達成できる課題を
やりとりするようなかたちが,「子どもを見捨てない」という
最も現実的な姿である。
「ブロック経済に移行した理由」をすらすらと述べられてしまった
ような生徒には,「ブロック経済政策の有効性はどの程度あったか」
とふってみてもよい。学説的にも考えは分かれている問題である。
当然,いくつかの学説を示して,それぞれの長所・短所を比較し,
根拠を示しながら自分はこう考える,と説明できる生徒はほとんど
いないだろう。しかし,課題に気づかせるという教師の行為は
重要である。
これが,「上位の子どもを見捨てない」指導の工夫である。
多くの小学校では,「上位の子どもは見捨てられる」のが
一般的である。その理由はあえて書かないが。
学校では,授業とは関係なく,やさしい言葉をかけられるだけで,
「見守られている」という実感をもってくれる子どもは多い。
授業に入って教師に「見捨てられている」という思いを
抱かせるような人間は,教壇に立つべきではない。
子どもに丸投げして「子どもを信じている」と言えてしまう
人は,一度,塾の人気講師の講義を聴いてみてほしい。
ある人は,テキストの内容をほとんど教えない。
でも,人気は高く,受講生の成績もよい。
破格の給料をもらっている。
「教育観」の柱がない人間が「学び合い」に寄りかかると,
どうなるかは多くの人が気づき始めているはずである。
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