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超近視眼的な学力向上騒ぎを恥ずかしいと思える保護者はいませんか?

 成績のよい子どもの生活習慣や行動パターンを真似させる。

 コンピテンシーを活用させる事例の一つです。

 しかし,これは生活習慣が整っているから,学力が高くなる,

 という前提での話です。

 学力というのは,それほど簡単なものではありません。

 残念ながら,今,国が行っている問題は,たとえB問題でも,

 決して「頭を使わないとできない」というレベルではありません。

 おそらく子どもも問題を解きながら,「自分はすごく頭を使っている」

 という実感はもてていないでしょう。

 ただのマス目に計算結果を埋めていくような学習方法でも,
 
 「頭を使っている」と思わせてしまったのが日本の小学校です。

 「頭を使う」ことの意味がわかっていない子どもに,
 
 「頭を使って考えろ」という言葉で通じるものはないでしょう。

 学力調査の結果を受けて,各自治体が発表している内容は,
 
 誠に近視眼的なものばかりです。すこしばかり授業が上手な

 人の話を聞いても,簡単に授業が改善できるとは思いません。

 行政にしろ,学校にしろ,異動のサイクルが早い人間は,

 すぐに結果をほしがります。

 文科省のカネの配分方法も,それを助長しています。

 教育はインスタント食品とは少し違います。

 私の娘の小学校では,毎学年,クラス替えがあり,担任も替わります。

 だれの責任で学力が不振になったか明確にならないような

 しくみになっています。

 まずは,こういうしくみから変えることが一番でしょう。

 小学校は,基本的に6年間のもちあがり。

 子どもと一緒に6年サイクルで異動していく。

 親と子どもが見限ったら,転校を認めます。

 どんどん少人数になっていきますが,

 少人数で成果が上がるなら,指導力不足と

 相殺されて問題はなくなるのでしょう。

 教師のレベルでも「責任」を感じないですむような

 しくみになってしまっていることが問題です。

 6年間,離れられないと知ったら,

 親も必死になりますよ。

 当然,教師もまじめに仕事をせざるを得ません。

 「前の担任が・・・」という言い訳ができないからです。

 人間の質がよほど違っていれば別ですが,

 行政や管理職には真の「責任」の意識はもちにくいでしょうね。

 短いサイクルで異動を繰り返しているような教員たちに,

 「責任感をもて」「使命感をもて」というのは無理な話かもしれません。

 そんなことを思ってしまうほど,今の

 近視眼的な騒ぎというのは教育の本質がわかっていないとしか

 考えられません。

 まずは授業がまともにできない人間の教員への採用を

 即刻中止にすることです。行政にできるのは,それしかありません。

 負の遺産を増やさないこと。長期的には,それに尽きます。
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より