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« 小学校で子どもにやらせてはならない「わかったか」「わかっていないか」の自己評価 | トップページ | 子どもを「見捨てない」とは,「授業内容がわかっていることをその都度確認する」こととは違う »

「わからない」ことの受け入れ方を教えられない人間は教師には向かない

 どんな人間にも,解決できない問題がある。

 知らないこともたくさんある。

 理解できないこともある。

 「田を耕す」という行為が,土に住んでいる微生物にとって何を意味しているか,説明できる小学生はどのくらいいるだろうか。

 人間は,「わかったつもり」になっていることが非常にたくさんある。

 「わかったつもり」でいることが,生き延びる技の一つであると誤解させる場所が小学校である。

 どうして小学校では,「わかる」ことを重視するのか。

 どうして小学校の教師は,「わからない」と言われることを怖がるのか。

 「わかった」といういい加減な態度が,どれだけ知の発達を遅らせてしまうかを「わかって」ほしい。

 生活指導の甘やかしももちろんだが,

 学習指導での「甘やかし」は,子どもの一生に決して小さくないマイナス効果を植え付ける。

 「わかる」ことは,実は,非常に難しいことなのである。

 簡単に「わかる」ことが心地よいのは,裏を返せば,

 「わからない」状態でいることを受け入れらない感覚を生むことになる。

 「わからない状態」との付き合い方が日本人は苦手である。

 それが「英語が話せない」要因の一つであると私は考えている。
 
 「間違い」のが恥ずかしいというか,「悪」だから,と受け止めてしまい,

 なかなか話し出せない人は多いだろう。

 中学生の段階では,「失敗することの価値」を思う存分味わってもらう。

 そして,小学校時代の自分がいかに「知的に幼かったか」を噛みしめてもらう。

 大人びた中学生というのは,小学校時代にそういう知性に出会えた子どもたちである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より